西カリマンタンに里子を訪ねて・・・・・R. M及びY.T.両理事の報告より
ヤップ夫妻が北京語で語るロバン村の現状を、アンドレアスがアケンにインドネシア語で、アイリ-ンが私達に英語で説明してくれました。
シンカワン市の北東の郊外にあるロバン村は、奥地で先住民から迫害され無一物っで逃れてきた中国系(客家)の人々が多数を占める、いわば難民であること,主として商業を営み,かっては相当豊かであったこの人たちは共産主義との関係を疑われ、無実であるにもかかわらず全てを失って、将来への希望もなくこの村にくらしているようです。
ほとんど学校教育を受けていない大人は客家語しか話せず、母親たちは予防接種の意味が分らず,恐れて子供をかくしてしまったり,産児制限の必要性がどれほど高くても当人たちには理解できず、ヤップ夫人が友人の保健婦を招いて教育を試みたり・・・・といった内容のようでした。
新たな援助の地、インドを尋ねて・・・・T.I.理事の報告より
滞在3日目の8日、私たちは「ヘルモン子供の家」を訪問しました。
この施設は、キリスト教系団体ゾラム福音協力会(ZEF) がパ-トナ-ズインタ-ナショナルの協力を受けて運営している養護施設で、1979年発足し、今では男子105人、女子64にんを収容していますが、これらの子供たちがこの施設を巣立ってどうやって自立していけるかが大きな課題になっています。
私達が到着すると、幼児から中学生までの子供達が’子供の家’の前に並んで出迎えてくれ、講堂で歓迎の歌と踊りを披露してくれました.。
’子供の家’は剥き出しのコンクリ-トと材木で作られた少年少女の住居棟と教室、作業訓練室から成る質素な施設ですが、子供達の笑顔は明るく、この子たちが将来もこの笑顔を持ち続けられるよう、私達の援助が役たつことを祈らずにはいられませんでした。
作業訓練室では、年長の子供達が地元特産の機織りとタイプライタ-の訓練を受けていましたが、ここでの訓練はほんの基礎的なもので、本格的な訓練はカルカツタにある兄弟施設に子供たちを移して行なわなければならないようです。
多言語国家インドで自立に必要な職業訓練を受けるためには、共通語の英語を理解できることがどうしても必要です。
実はこの’子供の学校’に英語学級を作り、それを学校にまで育てようという計画は、私たち日本のパ-トナ-ズの援助がその動機となったのでした.
日本のパ-トナ-ズからの援助金で英語の授業を始めたドロシ-・ラレンプイさんは英国留学の経験を持つ若いミセスで、レベルに応じた各クラスの教材を自分で作り、二人の助手とともに奮闘していますが、借りている教室が転々と変わり、学習の能率が今一つ上らないのが悩みだと語ってくれました。
私たちの小さな協力援助でも、神様はちゃんとお認めになって、大きな救済の前進に繋げてくださったのでした。或いは神様は私たちよりももっと前からご計画を持たれ私たちをお使い下さったのではないでしょうか。