クリスチャン パートナーズ通信 第3号発行日/1986年9月10日 ◇暑い夏もようやく終りに近づき、実りの秋を迎えようとしています。皆さまにはお変わ
りございませんか。 CNEC-JAPANでは、SAC(Sponser A Child)プログラムでいままで学費援助してきた10名の子ども達に、新たに3名の子ども達を加えることになり、8月18日にSan Jose本部より3名のカードか到着しました。
☆5月30日朝、西カリマンタンポンティアナの空港に着きました。あらかじめビザは必要ないと言われていましたのに、やはり必要ということでトラブルがあり、滞在が許可されませんでしたが、次の日の年後4時まで帰りの飛行機の便がなかったので結局一泊することになりました。
アンテオケ宣教会の宣教師安海靖郎先生がご紹介くださったYPPIIの事務所で歓迎をうけ、保証人になって頂くなど、大変お世話になりました。 CNECの現地事務所とも間もなく連絡がとれ、スタッフのチャイ牧師、セン牧師、それにインドネシア政府の役人で牧師であるシリトンガさん(文部省宗教局(?)でキリスト教を担当)の3人に案内されて、私達が学費援助している子ども達全員10人に会うことができました。 子ども達は、私達の想像以上に環境の悪いところで生活しています。湿地に家を建てて通路(渡り廊下、写真参照)をつくり、子ども達はその通路の上で遊んでいました。 流れている水はどぶ川としか見えず、人々はその川の水で体や服を洗っていました。 家々にカメがあって、雨か降るとその蓋をあけて水を溜め、それを飲み水にしています。 電気はもちろんありません。
しかし、写真を撮るというと、裸で遊んでいた子ども達も慌てて家に入って、とっておきのよそ行きを着て出てくるのでした。 チャイ牧師の話によれば、1965年中国人(華僑)への大迫害があり、内陸で商売をしていたり、農夫であった人達か逃げてきて(ただし途中で多くの人か殺されました)このポンティアナに住みつくようになったとのことです(ポンティアナの人口約30万うち半数を占めています)。 以来この恵まれない場所に住み続けていますが、比較的豊かに育った親達は、子ども達には自分達のできる最善のことをしてあげたいと思っている様子かありありと見えました。この日は、シリトンガさんの家の夕食に招待され、夜はYPPIIに泊めて頂きました。 翌朝チャイ牧師に伴われてCNECの事務所を訪ね説明を受けました。学費援助を受けている子ども達のファイルはよく整理されていました。 子ども1人について、3000ルピアがシンガポール事務所から送られてきて、そのうち2250ルピアが子ども達に手渡されています(750ルピアは、維持費、人件費になる)子どもが小さければ親に渡されますが、いずれの場合も親のサインをもらいます。 小学校に行っているのは、全体の半分ぐらい、その約一割が上の学校へ進みますが、中学校に入るには、2万ルピア必要とのことです。 子ども達に教育の機会を与えることの大切さを思い、私達に何かできるのかをつくづく考えさせられたことでした。チャイ牧師らに見送られ、牛後4時の飛行機でポンティアナを発ち、シンガポールへ向かいました。 |