クリスチャン パートナーズ
通信 第4号
発行日/1987年1月
CNEC-JAPANが発足して満2年、最初の仕事として取り上げたSACも5名から現在11名になりました。
SAC全員8000名に較べればごく一部しか分担して居りませんが、昨年3月にはシンガポールCNECの職員で、このプロジェクトを専門医たんとうしているMiss.Thamが日本に立寄って下さったり、又、6月には木ノ内さんが現地にしカリマンタンのポンチァナックに一泊して、我々がスポンサーになっている子供達に会っていただいたりして、だんだん我々のボランティア活動の地固めも出来て参りました。
昨年11月20日から22日に亙り、草野はサンホセのCNEC本部が私をAssociated Councilの1人に推挙し、是非次回(昨年)は出席してくれないかと要請してきたことに動かされたためであります。丁度CNEC-JAPANとしても今後の運営上尋ねておきたいこともありましたので、好い機会でした。
本部はサンフランシスコから約150キロ程南のサンホセ市になり、本部からの連絡でサンフランシスコ近郊に居住して、CNECのためボランティアをして下さっているMr.Mollsが空港で私を出迎えて下さって、一面金色のカルフォルニヤの秋景色の中を約1時間半ドライブして、19日昼過ぎサンホセの本部に着きました。
その日は先ず今年度新しくプレジデントに就任する予定のMr.Bushはじめ本部の職員の方々と握手。私は昨年も立寄りましたので特に珍しいことではありませんが、いつもながら明るいフレンドリーな雰囲気には心を打たれるものがあります。
その日はフィンリー宅で宿泊。尚翌日から3日間は本部の向かい側に2年程前に新しく建ったRadiasson Hotelに泊まることになります。
(20日)
翌朝は午前八時過ぎには皆さん本部に来ていて、会議室といわず、事務室といわず、コーヒー等を飲みながら、話し合い、紹介をしたり、打ち合わせ等もフリーに行われている様子でした。
「これはうちの庭でとれて柿です」とつつみを拡げるMr.Hatakeda(日系の人、IBM勤務)やリンゴを大きな紙袋に入れてもって来た北欧系と見受ける陽気なMr.Derkvan Konynenburgといった具合。
こんな雰囲気のあと9時に会議が始まりました。Pre-Board Meetingというのが正式の会議の前に約3時間もたれ、今回議題となっている各種委員会の構成、CNECの名称変更、長期計画、Finley氏のタイトル等について予め配布されている経過資料等にもとづき、出席者の自由な意見交換が行われました。
このセミフォーマルな議論を会議の前に持つことは公式会議に一定の方向を予期させる効果があるのではないでしょうか。
昼食は本部の方のボランティアらしい料理を一般食堂でいただき、午後2時から5時迄Board Sessionを持ちました。開会は先ず出席者全員による祈祷に始まりまして、次に既往の各種のコミティーミーティング等の議事録の承認が行われ、CNECの氏名の確認がなされました。
そのCNECのMISSION STATEMENTをそのまま写しますと、
Under The Lordship of Christ we seek to help Christians Throughout the world to fulfill the Great Commission through the mutual sharing of vision,knowledge,wisdom,expertise and material resources.
という煮つめられて言葉で表されています。
出席者は、Director及びAssociated Council12名、執行側(Administrator)7名、ゲスト4名、傍聴の夫人8名、全員31名であります。
次に各地のAssociated Council(英国、カナダ、オーストラリア、日本、米国)からの報告が行われました。私はCNEC-JAPANは今基本的なシステム固めの段階で、いずれ将来はTax-exemptも認められるような成長を目指してゆきたい。積極的なボランティア活動を引き出すことが当面の課題である。
ノンクリスチャンのSACへのご協力をどのように考えてゆくべきかについて色々議論があったが、日本においては、それも大切な機会であり、その協力は祈りをもってお受けしてゆきたいと考えていると報告しました。
尚会議の後で送られて来ました議事録には次の様にまとめられております。
KAZUO KUSANO indicated that progress is being made in formulating administrative policies and in conforming to applicable laws of the Japanese government.Way to recruit interest in indigenous overseas ministries are being explored.How to respond to nonbelievers interest in sponsoring children has been resolved.
次に会計報告(Ernst & Whinneyの監査報告のついた)が行われ、承認されました。
1986年6月末決算、年間収入$5,060,308:支出$4,971,667、繰越残高$994,660となっています。
その次はCNECという名称は適切であるかの議題です。ここ数年間色々研究されてきたようですが、あまり名案がありません。”Partners International″という案が執行部から出ているようですが、海外ではあまり賛成を得られない地区もあり、尚検討を続けることになりました。
20日の夕食は引続きCNEC内の食堂で、職員の方のボランティアによるセルフサービスのディナーの後で、Dr.Ralph Wonterのお話をききました。
The U.S.Center of World Mission Studyの設立者である博士は、現在ますます主の恵みを伝道せねばならぬことが痛感されている中で、このままでは、2000年の頃になっても17,000グループの人達が副音に接しない状態である、しかも西欧側の宣教師ではどうしてもその土地の人達の本当の精神的ニーズに迫る伝道が出来ないのだと強調しておりました。
講演後は自由な意見交換の時間があり、ようやく初日の日程が終了しましたが、出席者は明日議されるべき長期計画の参考資料を抱え、宿題が出たなと微笑みながら散会してゆきました。一寸研修会を思わせる空気でした。
(21日)
21日も昨日のように8時過ぎには各自参集、自由コミュニケーション。この朝私に多くの人から三原山大爆発のニュースとお見舞の言葉が述べられました。
8時15分開会。
Mr・Cephasの感話の後、着席順に“Prayer&Praise”ca1enderの中に記載されている世界各地のCNEC関係の困難な問題やら苦しい状態の人達の為に祈りまして直ちに議事に入り、Mr.Luis Bush(今回フインリ氏に代って新しくPresidentに就任する)の長期計画の説明が始まりました。
それはあたかも事業会社で行う経営路線策定会議そっくりで、先ずCNECの基本的使命を確認し、すべて計画なきところに有効な実行がないことを、コリント人への第二の手紙1章15~17節をひいて強調し、その計画を樹てる順序を述べ、現場、傾向の把握、自分自身に何が出来るか可能性の確認、宣教における世界的傾向、CNECが保有している優れた点や弱点や陥りやすい危険等について吟味した後、将来計画はProject2000の形でまとめてゆきたいということになり、更にその後4人の見解発表(パネルディスカッション)が行われました。
CNECをもっと世間に広く理解してもらうため(Visibility)の方法、資金の募集の仕方(Fund Raising)、ボランティアの求め方等が話し合われました。
Bush氏の発音は明瞭で、論理は明解、リーダーシップを感じさせるものでした。2000年をめどに現在17,000にも達するUnreached People(副音が伝道されていない人達)の地域に教会をあまねく建設する目標が承認されました。
二日日の午後は更にいくつかの議題をこなしました。Boardの構成、メンバーの改選のあと、今回最も難問であるフィンリー氏のPresident勇退後の仕事の具体的内容及びタイトルの決定を行いました。
これについてはデリケートな感情的要素の配慮、フインリー氏の功績に対する敬意、語義、語感や言葉のニュアンスが国地域により異なること等を考え合わせる中で一時本人に座をはずしてもらったりした慎重な話し合いの後、Chairman.Project2000と決定しました。しかし海外の各地では、その地方々々の気持ちもそれぞれ異なるので、上記のタイトルに追加してPresident EmeritusとかPast President等適切と思われる語を称しても差支えない。
しかし単にPresidentと称することはBush氏と職能の混同を生じやすいので避けねばならないということになりました。
21日(金)の夕食はホテルのレストランで中華料理を3卓かこみ、お別れ前夜の会食が行われました。車椅子で出席しているゲスト、CNECのBoardの大先輩のMr.Hughes Andyに対するフィンリ氏の実に全身にあふれた鄭重さが私の心に印象強く残しました。
Humble Finley会議中にもそのような言葉が耳に入りました。CNECの今日を創り上げてきた真髄なのではないでしょか。
(22日)
22日(土)は朝8時過ぎ開会、オーストラリアのMr.Arthur Sindelの感話に続いて祈祷のひとときを持ちました。そのあと昨日の午前に続いて、数々のグループに分かれ長期計画について個々人の意見を更に引き出してみる機会を持ち、全体会議で更に報告されました。
私は、CNECにとって所謂Strategic issuesは何かというサブテーマの中で、財政的安定、知名度(Visibility)、海外の宣教師の活動の監査(Monitoring)、同種の団体と競合しないこと、その他合わせて既に10項目出されているのに加えて、ボランタリーフォースの欠如をあげる必要があるのではないかと提案し、全体会議でもグループのリポーターMr.Hatakedaにより報告されました。
しかしこれはやはり日本のCNECだから一番感じさせられていることなのかも知れません。
その日の午後、私は独りホテルにとどまり、翌日ロサンゼルス経由ブラジルへ向けて出発する用意をすませてから、近所を散歩しましたが、賑やかだったCNEC本部も3時頃には後片付けをすませたらしい人の姿が1~2名、最後に残された車に乗って立ち去った後はひっそりとして、旅行中の私にmissedという語感をしっとりと味わせてくれたのでした。
Board Meetingの長期計画の最終的結論は、CNECはProject2000の概念を樹て、そこに世界あまねくそれぞれの土地に根ざした教会のために奉仕できるCNECの将来の有用性と特典のための計画と祈りを映し、Chief Executive Officerも、Boardも共に責任を持ってその目標の達成に努めるという言葉でした。
どうかCNECの本部のために、CNEC-JAPANのために、又、世界各地のCNECのために、そしてCNECが支えている宣教活動に奉仕している人々のためにお祈り頂きたいと思います。
1987年1月 |
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日本キリスト教海外協力会 |
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理事長 草野計雄 |
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