クリスチャン パートナーズ
通信 第8号
発行日/1990年11月
カリマンタンについて
クリスチャンパートナーズの里親プログラムを行なっているインドネシアのカリマンタンとは一体どういうところでしょうか。
つい最近までは、鬱蒼としたジャングル、熱帯地方特有の湿地滞、といったイメージがカリマンタンには付きまとっていました。カリマンタンは大ざっぱにいって、世界第3の島ポルネオ南東部分2/3を占めています。
島の北部1/4にはマレーシアのサラワク州及びサバ州があり、その燐に非常に裕福な同教主国家ブルネイがあります。ジャングルや首狩族のイメージは最近では随分変りました。
カリマンタンの豊富な石油、天然ガス、木材、ダイヤモンド等の鉱石類は世界の注目を集め、インドネシアの豊富な一翼を担うようになりました。因みにカリマンタンとはマレー語で「ダイヤモンド」の意です。今ではカリマンタンの主要都市にはジェット機が飛び、ホテルやレストランの設備も不自由しない程度になりました。他面冒険好きな旅行者には、奥地の原始民族ダイヤック族の部落や、オランウータンのいる内陸のジャングルに行くことも困難ではありません。
(編集者注:カリマンタンは行政上東、西、南、中央の4州に分かれております。この地で17年間伝道された安海靖郎宣教師教帥によりますと、上述の資源豊かな地域は東と南カリマンタンで、私どもの里親制度の対象地域である西カリマンタンはこれと対照に資源もなく開発が遅れており、経済的に厳しい状況にあります。この州の人口は2百万でそのうち4割が原住民のダヤック族です。
中心都市はポンティアナックで中国系住民が大半を占めております。第2次世界大戦中ここで3千人以上の中国系住民が日本軍によって虐殺されたといわれております。
インネシア独立後共産党狩の動乱の中で数千人に上る中国系住民が今度はインドネシア人によって殺されるという悲劇が繰り返されました。)
ボルネオの面積は約743,000平方キロで、日本の約2倍の大きな島です。
それでいて人口はジャカルタ市全部の7百万とほぼ同じです。東南アジアで最も人口の希薄な地域です。カリマンタンには、そのうち約5.5百万人がすんでいます他のインドネシア諸島と異なり、カリマンタンには地質学上、火山と呼ばれる山が全くなく、ボルネオの地殻は地層のひだによって形成されております。だからカリマンタンの西部山脈地帯の山々もさほど高くなく、一番高いラジャ山でも2,278メートルしかありません。
しかしこの山脈地帯が広大で、無数の河川とその支流を潤しております。
雨量が多く、未開拓地が広がっているため、マングローブの沼地や湿地帯が至る所にあります。
都市や街は河口から大体20キロから50キロ離れた場所に開発されており、中国系、マレー系、ジャワ系の人種が住んでおり、彼等の祖先は貿易、鉱山目当て、漁民或は海賊としてボルネオに移り住んで来ました。カリマンタンの食料事情は大部分をジャワやシンガポールからの輸入に頼っております。
|
インドネシアと周辺国 |
近年に至りインドネシア政府の移民政策に則り、数千人のジャワ人やバリ島人が過密人口の故郷からカリマンタンの開拓のため移り住み中には大成功を収め富を築いた人もおります。
奥地に入ると約百万人の原住民族がおり、その部族の数は200に上ります。
移動農耕民族として知られ、森林を切り倒し、焼き払った跡に農地を開拓し、また次の農地を切り開くために移動する所謂移動農耕民族で、一般にはダイヤック族として知られております。
カリマンタンの歴史は5世紀頃に遡り、掘り出された彫像の柱礎から類推すると、カリマンタンは香料貿易の足場として利用され、インド人の集落があちこちにあったとの事です。
紀元前一千年頃にはボルネオの北西海岸に中国人部落が形成された痕跡があり、数世紀にわたり、陶器がこの地で作られた事が判っております。
その後、中国人はボルネオの西海岸に移住しダイヤモンドの発掘に従事しました。
15世紀になって海岸線の港町や集落は回教文化に大きく影響され、カリマンタンの主要都市ポンテァナック、バンジャルマシン等の都市は回教の根拠となり、マレー人や中近東の貿易商人に支配されるに至りました。
この貿易商人達はジャワや東部の島々からやって来ました。
これが19世紀後半まで続きましたが、オランダの進出で、今迄の支配階層は単なる貿易相手としか見做されず、植民地政策の下で次第に勢力を弱めて行き、ヨーロッパの貿易商や回教国君主候が優位を占めるようになりました。
カリマンタンは最近まで、僻地と見られてきましたが、特に東カリマンタンの膨大な石油、天然ガス、木材の開発のお陰で東海岸沿いのバリクパパン、ボンタンにはヨーロッパ人の集落が出来上がり、ブームを呈するまでになりました。
今では新しい道路、海上交通、航空機の連絡が便利になりました。
(参考文献:Insight Guides “Indonesia”,1990APA Publication(HK)Ltd.)
インドネシアの宗教の特徴
インドネシアの6,000にのぼる島々に1億5千万人(1980年の統計、1988年の推定では1億8千万)の人々が住んでおります。そのうちキリスト教徒の比率は、割弱といわれております。殆どが同教徒でその数は最近の統計によると1億4千万人で、世界一の回教国です。
世界でインドネシアほどその宗教面で興味をそそる国はありません。何故ならこの国の4大宗教といわれるイスラム教、キリスト教、ヒンズー教、仏教のいずれの信仰も、インドネシアに土着のアダト(adat)と呼ばれる密教的な精霊崇拝の風習と深く係わり合い、渾然一体となっているからです。
このアダトは地域的な伝統、祭礼儀式昔から伝わるその土地特有な風習、宗教的な慣習といえます。
このアダトといわれる精霊崇拝の密教的風習はインドネシアの人々の生活に密接に根ざしております。集落或は種族によりそのアダトが違い、アダトが色々な種族のアイデンティティとさえいわれえとります。
例えばバリ島人にとっては土着の精霊崇拝の祭礼をやめて回教かキリスト教に回心することは、バリ島人であることを放棄することと同じです。
また、ジャワ人の間では、精霊崇拝のアダトに対する神秘的ともいえる感性を持ち合わせていない未成年者は、ドルグジャワ(durug Jawa)と云って一人前のジャワ人とは認められません。
ところが面白いことに、マレー人(編集者注:インドネシア人も広い意味でマレー人)にとっては回教徒に同心することはマスックマラヤ(masuk Malaya)といって本来のマレー人に生まれ変わることを意味する。
驚くべきことはインドネシアでは、4大宗教がこの土着の密教的な風習アダトと非常に融合しておるといえる点です。
同教徒と自認している典型的なジャワ人はヒンズー教の原始的な神霊、影絵芝居のお伽話、民話の主人公、さらには現世に存在するといわれている魔人、幽霊、妖鬼の類を本気で信じています。
同教徒としての日々の務めのほかに、彼らはアダトの種々雑多な宗教的儀式、しきたりに忠実に従います。
香りをたいたり、土地の精霊に捧物をしたり、祭日、結婚、誕生日のたびにセタ・マタン(seta matan)と称せられる祭礼を行ない、不幸な目に会えば部落の呪い師に祈祷してもらったり、魔よけの刀剣やお札を信じたりします。自分が進行しているイスラムの神との矛盾を感じておりません。
同じ事がヒンズー教徒にもいえます。ヒンズー寺院にはヒンズー教の三位神すなわちシバ、ブラーマン、ビシュヌを祀った立派な聖堂があります。
同時にそれと併存する形で、バリ島の山の神、祖先の魂、米と水の神様、天なる声の使者、その他超自然な聖なるものの為の廟がヒンズー寺院には立ち並んでおります。
ヒンズー教徒にとっては村や部落のお祭りは、ヒンズー教の儀式と同様に重要なものです。
彼等は部族の巫女のお告げにより捧物をきちっと用意し、結婚や弔いにはバリ島の因習的な手の込んだ儀式を尊守します。
キリスト教徒といっても欧米でいわれる純粋な意味でのキリスト教徒とはいえず、呪い師、祈祷師に何事も相談して決める風習が残っております。結婚式もキリスト教の教会で形式せず、因習的な地方のしきたりに従って行なわれることがしばしばです。キリスト教の礼拝や行事も多分に伝統的且つ因習的な地方色豊かなものが多くあります。例えばバリ島の東にあるフローレス島のラランツカ(Larantuka)地方では、復活祭のパレードは常に「黒い聖母マリヤ」が主役をつとめます。
インドネシアのこういった折衷主義的で融合的な宗教の状況を、カステラの間にジャムやクリームを幾層にも重ねたレーヤー・ケーキにたとえる学者もいます。
因習的な精霊信仰、密教的ともいえるアダトはいわばレーヤー・ケーキの一番おいしい厚いクリームの層が重なり合っている部分かも知れません。
インドネシアでのイスラム教やキリスト教は白一色の固いパンではなく色鮮やかなレーヤー・ケーキの一部として存在しています。
一般的に云って農民の大部分は迷信深く、上流階級はどちらかというと神秘主義的で密教に傾いております。都市の中産階級が欧米の平均的なキリスト教徒にやや近いといえます。
(編集者注:上述の折衷主義的、融合的信仰生活はヒンズー文化の栄えたジャワ島に於いて特に顕著である。インドネシアが国造りのモットーとして揚げている「多様性の統一」-unity in diversity-は地理的人種的多様性のみならず宗教的多様性も考慮の対象にあると思われる。)
(参考文献:Insight Guides“Indonesia”.1990.APA Publication(HK)LTD.)
SACプログラムに最近参加されて是松玲子様からの通信
率直で且つ未来に光を当てるお便りです。まずは紹介抜きで是松様からの通信全文を以下ご披露いたします。
「今年の7月頃でしたが、クリスチャンの友人より、クリスチャンパートナーズのプログラムである“スポンサー・ア・チャイルド”へのお誘いを受けました。
第三世界の子供達の里親となって、その子どもたちにキリスト教教育を行なうため年間¥48,000を学費として援助するプログラムであるという趣旨には賛同したものの、クリスチャンパートナーズの運動の内容もよくわからないまま、友人7人の仲間に入れていただきました。
暫らくしてシンガポールから私たちの里子となったジュリアンちゃんの写真と彼女の教会生活、家庭生活、学校生活の様子を評定したプログラムブックが送られて来ました。しかし、私にはジュリアンちゃんお里親になったという実感は湧いてきませんでした。
スポンサー・ア・チャイルドのプログラムは世界宣教のために働くクリスチャンたちが宣教活動を通して発展途上国における子供たちのキリスト教教育を支えるプロジェクトであり、その母体となっているのがクリスチャンパートナーズであるということ等、“家族の絆”を読み、その活動内容がだんだんと解って来ました。
私は今迄に何度かアジアの国々を訪れた経験からアジアの国に対する感心をずっともっておりました。そして今度チャンスあってアジアの国で精神里親としてのボランティア活動に参加することになったわけですが、数多い児童の中から里子に選ばれた人と選ばれなかった人との取扱の問題、何を基準に選ばれるのだろうか、援助金はどの位い集まって、その児童にどの程度役に立っているのか、キリスト教教育はどんないことをやっているのだろうか、私たちと文化、言語、生活習慣等異にする国の里子とのスキンシップはどうしたら持てるのだろうか、年間決められて学費を払うことでこの運動の参加を考えてよいのか、等々の疑問がでてきました。
クリスチャンでない私ですが、今後このボランティア運動にかかわわっているという実感が持てるよう、広い意味での情報収集や第三世界へ目を向ける努力をして生きたいと思っております。」
シンガポールのCNEC責任者ポール・チャン師来日予定
シンガポールCNEC(Christian Nationals Evangelism Commission Inc.)の責任者で、アジア地域全体のSACプログラムの取りまとめをされているポール・チャン師(Rev.Paul B.Chang)が来日されます。
チャン師の予定では、来年1991年3月8日(金)から3月10日(日)迄3日間東京滞在とのことです。同師が教鞭をとっておられるシンガポールの聖書学校が休講になるのを利用して、米国シアトルの教会へ伝道活動に出掛けられ、その帰途東京に立寄られるものです。
|
|
CNECシンガポール事務所 |
ポール・チャン師 |
我々クリスチャンパートナーズでは、3月9日(土)の午後国際文化会館で同師を囲み団欒のひとときを持つ予定です。是非お誘い合わせのうえご出席をお待ちしております。同師の貴重な体験を通して、今後の指針が得られるものと期待しております。
追って3月9日(土)の集いについて詳細にご連絡する予定です。
神の大いなる恵みがポール・チャン師にありますように共に祈りましょう。
西カリマンタン及びシンガポールにおける里親推進運動
CNECシンガポールのSAC(里親推進運動)の責任者であるMoh Soon Chan女史から、草野理事長当てに里親運動の現状について簡単な紹介がありましたのでお知らせ致します。
西カリマンタンでは米国及び日本の援助のお陰で現在603名の子供が里子となっております。
エマポン(Emapong)の部落では、SACプログラムによってセチヤ・バクチ(Setia Bakti)という学校が運営されており、85名の生徒がおります。このセチヤ・バクチ校は西カリマンタン政府により正式に認められ、西カリマンタンでは7番目に優秀な学校です。
1985年の夏に開校し、教師は10名で、そのうち6名は常勤、他の4名はパート・タイマー教師です。
今年の夏6月には、子供達の為にボドック郡のエンパン、ポンティアナク、ナバンで錬成キャンプを開催しました。
エンパンでは学校の校庭でキャンプを開き、「選民集会」のテーマのもとに221名の子供達が参加しました。
ポンティアナクでは「主の為に」、パシールパンジャン郡のナバンでは「救い主我らにいます」をテーマにキャンプが開かれ、85名以上の子供達が参加しました。
この種の錬成キャンプをもっともっと広め、キャンプを通して、多くの子供達に触れ、副音を伝えたいと願っておりますが、何といっても資金不足の為実現困難な状況にあります。是非我々の為に祈ってください。
CNECの担当地域は東南アジアの三つの地域、すなわち、ビルマ(現在のミャンマー)、北部タイ及び上述の西カリマンタンです。米国本部と共同して、この三つの地域における副音の要請をつぶさに探索し、これに少しでも応えるように努力しております。この為の必要資金は一ヵ月単位でそれぞれの地域に支払われております。
シンガポールのスタッフは里親や里子の手紙を翻訳し、出来るかぎり交流を良くするようにと懸橋の役割をしております。
また、毎年数回、上記三ヶ所の地域に短期間ながら伝道の旅に出掛け、後援者の皆様の良きご理解が得られるように務めている次第です。
会則の改訂
去る10月の理事会で会則の一部を改正いたしました。
(1)年会費の廃止。
従来は3,000円の年会費を納めて頂いておりましたが、今期分(1990年7月~1991年6月)からは年会費を廃止致します。
本会の目的に賛同して頂き、援助金を納めて頂く方は個人であると団体であるとを問いません。
年会費を廃止することにより、門戸を広くオープンしたと言えましょう。
(2)援助金は2種類に分けられます。
開発途上国のキリスト者が進めている宣教・福祉活動に資する為、広く援助金を募集しております。大別するとその種類は二つです。
(イ)SAC(Sponsor a Child)プログラム
Indonesia西カリマンタンのキリスト教児童教育を促進する為、里親運動を行っています。
里親として毎年4千円をファンドとして援助して下さる方で、継続して1年以上里親ファンドに出資できる方のプログラムです。本年10月末の里子は30名になりました。
(ロ)SAC以外の援助金
SAC以外の援助金で、金額の多募をといません。
編集後記…
今期の通信第8号には特にSACプログラムの対象地である西カリマンタンのあるボルネオ島とインドネシアの宗教についてインドネシアの紹介資料から取材した記事を掲載しました。
インドネシアは日本の5倍以上の面積を持ち、東西5,110キロの間に10,667の諸島が広がっており、その中に300以上の種族が住み、250の独立言語があるといわれています。限られた紙面でインドネシアの全貌を紹介することは不可能ですが、本号の記事がその一端を知るうえで参考になれば幸いです。
今年もあと一ヵ月を残すのみとなりました。今年の最終号であるこの紙上を借りて、皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。
どうぞ良いクリスマスと新年をお迎えください。
1990年11月(成田政俊)
|