クリスチャン パートナーズ通信 第13号発行日/1992年7月7日 梅雨も終りに近づきました。お変わりございませんか。過ぐる年度も皆様のお支えとお励ましによって歩んで参りましたことを理事一同心から感謝申し上げます。 毎月サンノゼの本部から事務局に届く十数通のNewsletterには、世界中に散らされているパートナーズインターナショナルの同労者達が、いま直面している課題、悩み、喜びや悲しみの報告が満載されています。 また、シンガポールにある東南アジアコーディネートオフィスからは、通信、PRALSE&PRAYERが隔月に送られてきます。 今回はこの中から里子たちの住む西カリマンタンのニュースを二、三お頒ちいたしましょう。 ☆ 以前、SACの里子であったPhang Ba Kian君が、ジョクジャカルタのバイブルカレッジを卒業し、新しくCNECの働き人として加わりました。 彼はBodok地区の伝道で、信者たちがみ言葉をしっかり自分のものに出来るように、また彼らがその賜物を主のために用いるように励まそうと計画しています。彼のためにお祈りください。 (1992年3/4月号より) Lukas Cen牧師によると、この地方では間違った教えを信じて、神の真理から迷い出てしまう人が多く出たそうです。主が、この人たちの心を目覚まさせて、正しい道に引き戻してくださるように… (1992年1/2月号より) ☆Singkawang教会のJacob Yap牧師は、奥地の村に住む中国系難民約200家族のために皆さんが祈ってくださるよう切望しています。彼らは恵まれない土地で暮らしておりまだ副音を聞いたことがりません。 しかし昨年7月、子供たちへの伝道を通して、この地域に真の光と希望がもたらされますように祈りましょう。(1991年10/11月号より) ☆Dyak(ダヤック)の女性たち… ダヤックはカリマンタンに住んでいる主要な部族で、近年副音を素直に受け入れるようになりました。 奥地の質素な小屋に住み、衛生状態などにはあまり関心がありません。ゴムの樹液を採取したりして生計を立てています。 ☆Baitelチャペル 1975年に西カリマンタンのEmpaon村に建設されました。現在、大人100人と児童75人の教会です。 牧会責任者のToto Subroto牧師のためにお祈りください。 Subroto夫人は近くにあるSetia Baktiクリスチャンスクール(中学)の校長です。 (1992年3/4月号より) 発足の当初を振り返り今後の歩みを思う理事長 草野計雄
クリスチャンパートナーズは、本部に合わせて今年も6月末に1991年度の決算をしました。次ページの報告をご覧ください。また、新年度の活動計画も検討しました。ご承知の通り私たちは、1990・1991年の中心的課題として“コミュニケーション”と“参画”を揚げてまいりました。 新年度も引続きこれを中心に活動し近い将来里子数100名の目標を達成したいと望んでおります。また、クリスチャンパートナーズの会員による現地訪問を実現したいと思います。 さて9月上旬に名誉会長アレン・フィンリー夫妻が再び来日されますので、一言、日本のクリスチャンパートナーズ発足と同夫妻との関係を述べておきたいと思います。 太平洋戦争や戦後の厳しい経験は、今なお私達の脳裏に残っていますが、同時に戦後米国に留学した日本人の多くがアメリカ人から暖かく迎えられ、民間人同士の友好関係がいかに大切であるかに感銘したことも忘れられません。フィンリー夫妻は、このような国際的な愛情を育んだ功労者の一人で、多くの日本人留学生・研究者がお世話になりました。 フィンリー氏はジョンズ・ホプキンス大学卒業後、兄が会長であったFOCUS(Fellowship of Overseas Colleges&Universities Students)という団体でそのキャリアの第一歩を踏みだし、1960年から1987年迄の長期にわたり会長としてCNECの育成に当たってこられました。 氏が1984年に来日したとき、日本でも氏の運動クリスチャンパートナーズを誕生させたわけであります。 上記のCNECはPartners Internationalへと名称を変更し、これに応じて私達もクリスチャンパートナーズと称することになりました。(英語表記ではPartners International Japanとしています) 今秋9月12日(土)夜、フィンリー夫妻の歓迎会を行ないますので、ぜひお集まりください。 1992年7月3日
<クリスチャンパートナーズ1991年度決算>1991年7月1日~1992年6月30日
SAC会員の異動(通信第10号1991年8月掲載以降、敬称・アイウエオ順) 【新入会者】:石渡幸子、岡田旬子、岡野潔・美子、折橋康子、久保田仁美、見学俊子、 小杉尅次・道子・契・愛・順、小張和子、藤田一郎・和子、渡辺文蔵 【退会者】:小倉富士代、丸山圭子 インドネシア語ABC(1)理事 松本繁雄
はじめにインドネシア語とはどんな言葉なのか、初めてで興味のある方のために、この号からシリーズで紹介したいと思います。
多様な種族で構成されているインドネシアで話されている言語は数百にのぼると言われていますが、国語としいて全国で使われているインドネシア語はマレー語と同一言語です。 現在のインドネシア語は長い歴史の過程でヒンズー文化、回教、さらにポルトガルやオランダの植民地支配の影響を受けて、多様な外来語を包含しています。 例えば、 サンスクリット maha(偉大な)、guru(教師) アラビア語 kabar(ニュース)、Salam(平和) ポルトガル語 meja(テーブル)、mentega(バター) オランダ語 sopir(運転手)、kantor(事務所) インドネシア語/マレー語が英語に入った例として、orang hutan(オランウータン、orang=人hutan=森、英語はorangutan)、amuk(暴れ狂う、英語はamuck)があります。 挨拶の表現 Selamat pagi! (マラマット・パギ)お早う!(pagi=朝、Good morning!) Selamat sore! (セラマット・ソレ)今日は!(sore=午後、Good afternoon!) Selamat sinag! (セラマット・シアン)今日は!(soang=日中、Good Day!) Selamat malam! (セラマット・マラ)今晩は!(malam=夜、Good evening/night!) Selamat jalan! (セラマット・ジャラン)さようなら!(jalan=道) Selamat tinggal!(セラマット・ティンガル)さようなら!(tinggal=滞在) Selamatは安全の意で、selamat jalanは残る側が去り行く側に対する挨拶。 Selamat tinggalはその反対。 Selamat Tahum Baru!(セラマット・タフン・バル)新年おめでとう! Selamat Ulang Tahun!(セラマット・ウラン・タフン)誕生日おめでとう! Selamat Hari Natal!(セラマット・ハリ・なタール)クリスマスおめでとう! TerimaKasih!(テリマ・カシ)有り難う! 単語の意味は、それぞれTahum年、baru 新しい、Ulang繰り返し、hari日、Hari Natalクリスマス、terima受領、Kasih愛情。Terima Kasih Banyakは直訳すると愛を受けて下さい。 これにbanyak(沢山)を加えてTerima kasihabanyakでどうも有り難うございます。 <本部報告> 里子の数(1992年5月現在) 西カリマンタンにおけるSAC対象の児童数571名のうちすでにスポンサーがついているのは446名です。 また125名がスポンサーを待っており、このうち当面、日本評議会は10名を引受けています。 スポンサーの国別内訳
<新入会員紹介> 久保田仁美さまご一家 今年の4月、長男が小学三年生に、長女が一年生になったのを機会に、週に一日、静岡一番町教会の小杉牧師のお手伝いをさせていただくことになりました。
専業主婦になって十年。退職後初めていただいた報酬は、私にとって金額よりも、胸にずしりと重く熱いものがありました。 そしてそのとき頭をよぎったものは、デーパーートの洋服でもレストランの食事でもなく、以前、小杉牧師が話された草野さんご夫妻とクリスチャンパートナーズのことでした。 師に私の思いを伝えると、翌々日には草野さんご自身より心暖まるお手紙と詳しい資料、里子の十三歳の女の子の写真が送り会わせに感謝しました。 今、子供達は机の前に、多分とびきりのオシャレをした、スカートにゴムぞうり姿のサン・フィ・シンちゃんの写真を貼り「このお姉さんにいつか会いにいくんだ」と、小遣いをためはじめています。 <予告> フィンリー夫妻を囲む会 ■1992年9月12日(土)午後6~8時 ■国際文化会館 どうぞ今からご予定おきください 〈編集後記〉 松本理事のインドネシア語入門ABCがはじまりました。次回は里子たちの手紙について挨拶や結語の解説をしていただく予定です。ご意見・ご注文をどうぞ。 8年前フィンリー夫妻への恩返し運動として誕生した小さなグループをここまで育てて下さったお一人お一人に感謝申しあげます。 (宮澤玲子) |