クリスチャン パートナーズ通信 第18号発行日/1993年12月1日 クリスマス メッセージ理事長 草野計雄
クリスマスの歌声が教会に、家庭に、そして町に流れています。「きよしこの夜」心静かに この一年を振り返りながら、この機会に最近感じていることを申し上げたいと思います。 皆様のご協力によりSACの児童は45名になりました。今年本部は50周年を、私たちは来年10周年を迎えようとしています。
今年度からSACのの運営が大幅に改善され、日本の場合はシンガポールコーデイネート・オフィスとの関係が従来より密接になりました。
通信第16号に予告しましたが、日本が援助するSAC児童はなるべくシンカワンという新しい開発伝道地域に住む子供にして、その教育・宣教の状況や個々の児童の様子がわたしたちにも分かりやすいようにしていく計画です。 日本の側でもインドネシアからの留学生などのカを借りて、里子や現地で働く人たちとのコミュニケーションを親密にしていきたいと願っていますが、それには現会員の方々の協力がますます必要になってきます。当会の事務運営新しいプログラムの企画などにぜひ積極的に参画してください。 それぞれの生活時間のなかで無理をせず、隠れた才能を生かして奉仕して頂ければ、里子たちとの絆も深まり、相手国の文化を知る機会も増えて、ご満足を得られると確信します。 シンガポールCNEC 50周年を祝う私たち日本のクリスチャンパートナーズは、西カリマンタンの里子や現地の働き人とのコミュニケーションのすべてを、シンガポールのコーディネートオフィスに頼っています。そのオフィスを運営し、同時に独自の宣教福祉運動を展開しているシンガポールSACの50周年を迎え、記念の小冊子を送ってくださいました。日本からは祝電を送り、友邦組織の50年の苦闘をねぎらい、主の守りと導きを共に感謝しました。
CNEC(Christian Nationals Evangelism Commission)
パートナーズインターナショナル 50年の歩みシンガポールCNEC50周年誌に接し、この際パートナーズインターナショナルの歴史を皆様に知って頂きたく思いました。来年10周年を迎える私たちの心の準備の一助にしてください。 (文章 草野) 【宣教師、中国から撤退】 パートナーズインターナショナルの発足は1943年、今からちょうど50年前に遡ります。それは第二次大戦で日本の軍事力の限界がはっきりし、支那事変以来の中国政策も収拾のすべを失ってきた頃でした。 1930年以降多くの宣教師が中国からの撤退を始めていましたが、現地に留まっていたダンカン・マックロバーツ師(Duncan McRoberts)は、中国国民のクリスチャンが同胞に福音をのべ伝えるのが効果的であることを見極め、それを強調していました。 【マックロバーツの卓見】 当時上海に英国人エンジニアのフレッド・サヴェイヴ(FredSabage)という人がいて、自分の月給の三分の一を中国人の伝道活動のために提供していました。マックロバーツ師は彼に会い、その孤軍奮闘している様子をシアトルにあるクリスチャンの実業家団体(Christian Businessman Committee)に報告しました。 【CNEC誕生】 その団体では以前から中国で宣教に尽くした故人のための祈りの会がもたれていましたが、マックロバーツ師の報告に壊してこれをどのように判断すべきか懸命に祈りました。 そして中国人自身による伝道を援助する方向に乗り出すことが神の意志であると受けとめるに到ったのでした。 こうしてCNECが発足しました。(Chinese Native Evanglistic Crusadeがはじめの名称でした) 【革新的宣教】 当時、このような考え方はあまりにも革新的でとても伝統的な海外宣教の概念としては受け入れられないものでした。 しかしこの「革新的」な考え方こそ、それからのCNEC活動の基本的思想になったのです。今日、現地の人による現地の人のための福音の教会建設と神学教育は、全世界50以上の国々において着実にその成果をあげています。 【ポール・チヤンの父】 CNECの初代会長N.A.ジェプソン博士(N.A.Jepson)は、中国の牧師の協力を求めました。 一人はカルヴイン・チャオ師(Calvin Chao)で、40もの大学の学生運動(Student Union)の指導者となり、もう一人は、現在シンガポールCNECの責任者であるポール・チャン師の父のチャン・シュウ・クン師(Chan Hsueh Kung)でした。 チヤン師はCNECに懇請されて1946年タイ・ツン神学校の校長に就任しました。 しかし共産主義の脅威は激しさを増し、神学校の運営は不可能となってきました。 身の危険を感じたチヤン師一家は南京から桂林へと逃避行を余儀なくされ、分散して難をさける目的で息子ポールは広東に下るジャンクの難民になったのでした。(次号に続く) 木ノ内理事主催 二俣川聖書会 紹介熱心に聖書を学びつつ、インドネシアでの宣教と福祉のために献金を続けてくだっさる方々皆様の参加を待っておいでです。
早いもので、この聖書集会も今月でちょうど3年になります。出席者は相変わらず4人。「もう少し人数がいないと休みたくても休めない」との声に何とかしなくてはと思いつつ、昨年3月の宇都宮単身赴任、そして今年10月に退職などいろいろなことがあって、あっという間に時がたってしまいました。 いまガラテヤ書を勉強しているのですが、十分な準備も出来ないまま日曜日の朝になり焦ってしまうことが度々です。でも毎回、互いに励まされ祝福のうちにおかれていることを感謝しています。 そして来年こそ出席者を増やし、クリスチャンパートナーズにも貢献したい、インドネシアの子供たちに学費をもっと援助したいと皆で夢を見ています。 どうか覚えてお祈りください。 また、機会がありましたらぜひ一度ご出席ください。場所は相鉄線、二俣川駅から徒歩5分前もってご連絡いただければ幸いです。 木ノ内一雄 〒241横浜市旭区今宿町2414-36 TEL:045-955-3226 インドネシア語ABC(6)クリスマスを迎える時期となりました。この号ではクリスマスに関連した挨拶、表現を学びましょう。 Hari natal(ハリ ナタール)クリスマス Selamat Hari Natal(セラマット ハリ ナタール) クリスマスおめでとう。 kartu hari natal(カルトゥ ハリナ タール) クリスマス・カード 1agu hari natal(ラグ ハリ ナタール)クリスマス・キャロル hadiah hari natal(ハディア ハリ ナタール)クリスマスの贈り物 malam hari natal(マラム ハリ ナタール)クリスマス・イーブ 言葉の説明 hari natalのhariは曜日や日時の日、natalは誕生を意味するラテン語から派生。 Selamat Hari Natalのselamatは安全の意であるが、挨拶の表現に広く使われる。 通信第13号、インドネシア語ABC(1)を参照してください。 kartu はカードの意。kartu pos(カルトゥ ボス)は郵便葉書。 laguは歌、メロディ。nyanyian(ニャンニアン)も同じ意味。 hadiahは贈り物、褒美、景品。hadiah pertama(ハディア プルタマ)は一等賞景品。 Malamは夜の意。「お休みなさい」はインドネシア語ではselamat malamとなる。 次にSACの子供たちから来たクリスマスの手紙から幾つかの文例を挙げますと、Selamat Hari Natal dan Tahun Bahru(タフン バル)クリスマスと新年おめでとう。 英語ではA Merry Christmas and A Happy New Year!と新年にはhappyを普通使いますが、インドネシア語はSelamat Tahun Bahru でいずれもselamatです。 Saya berdoa semogaa Tuhan memberkati keluarga sponsorku(サヤ プルドア スモガ ルゥハン ムンブルカティ クルアルガ スポンソールク)神様が私のスポンサーのご家族を祝福して下さるようお祈りします。 sayaは私は。berdoaはdoa(ドア)祈りの動詞形。Semogaは英語のMay God bless you のmayやhopeに相当し、願う、希望するの意。Tuhanは神様。memberkatiはberkat(ブルカット)祝福の他動詞形で「‥を祝福する」の意。keluarga(クルアルガ)は家族。 Sponsorkuはsponsor(スポンサー)にku(私の)が接合した言葉で、kuはこのように対象の名詞に接続接して使う。 通信第14号インドネシア語ABC(2)を参照してください。 Semoga Tuhan selalu menolong saya dan juga sonsorku.(スモガ トゥハン スラム ムノロン サヤ ダン ジュガ スポンソールク)神様がいつも私とそしてまた私のスポンサーを助けてさいますようにselaluは常に、いつもの意。menolongはtolong(トーロン)助力の動詞形で助けるの意。 danは英語のand、jugaは英語のalsoに相当。 Kami sedang bersiap-siap untuk menyanbut hari natal(カミ スダン ブルシアップシアップ ウントック ムニャンブット ハリ ナタール)私たちはクリスマスを迎える準備をしております。 kamiは私たちは、sedang(スダン)は進行形を表す言葉。bersiap-Siap(ブルシアップシアップ))はsiap(シアップ)「用意ができている」からの派生語で準備するの意。 Hari natal,yaitu hari kelahiran Yesus Kristus(ハリ ナタール ヤイトゥ クラヒラン イエズス クルストス)。 クリスマス、即ちイエス・キリストの誕生日。yaituは即ち、kelahiranは1ahir(ラヒール)(生まれる)の名詞形。 (理事 松本繁推) 本部から送られてくる印刷物の中からインドネシアについてのニュースを拾ってみました(「宣教ハイライト」)8月号にはインドネシア神学校(ETSI)※の学生チャーチプランター(church planter)の話が載っています。 ETSIでは卒業する学生に新しい教会をひとつ建てなければならないという特異な条件を付けているので、今学生たちはそのために祈り、たいへんな努力をしています。 パートナーズインターナショナルは以前からETSIの設備と人件費を援助して来ましたが、その結果ローズのように、多くのインドネシア人がキリストと出会いました。 「わたしの名前はルスティニ(Rustini)といいますが、ローズと呼ばれています。
※Evangelical Theological Shool of Indonesiaジャワ島中央部の小さな町で5人兄弟の末っ子として生まれました。 家の近くに日曜学校をやっている建物があって、子供たちが歌をうたっているのが聞こえました。私が茂みに隠れて窓から覗くとお話の声が聞こえました。 日曜学校の先生は何度も誘ってくれましたが私はとても入っていけませんでした。 でもある日私は勇気をだして行ってみました。それからは毎日曜出席しました。 ※ムスリムの級友がこれに気付き、私をからかったり馬鹿にしたりし始め、ムスリムの教師に私がキリスト教の集会にでていると言い付けました。 その教師は私を教壇の前に呼び出し、あなたはムスリムなのかクリスチャンなのかと問い正しました。私は全身が震えました。教師はどちらかを選ばなくてはいけないと言いまし た。 私は『クリスチャンです。』と答えました。」 ※ムスリムはイスラム教の信者のことです。 (「第一線で」)7月号によると、同国内でのクリスチャンに対する差別と迫害が増大しているとのことです。国際的なムスリムの指導者たちが手を組んで、キリスト教が広がるのを阻止しようとしているのです。彼らのやり方は色々ありますが、人を雇って集会の邪魔をさせるのです。 またチャーチプランターに暴力をふるったりするとの報告もあります。インドネシアは国として信教の自由を保障していますが、影響力の強いムスリムの中にはイスラム教国にしたいと運動している人々がいるのです。 インドネシアにおける信教の自由が守られるように、政治指導者たちの正しい判断のために祈ってください。とくに神学校のために― ―職員・学生・チャーチ・プランター・新しく信者になった人たちのため― ―祈ってください。 シンガポール発 PRAISE &PRAYER 9月/10月号より 西カリマンタンのドーメン師(Domen)の報告によると、キリスト教の入信者3人を魔術で脅していた村人たちが、福音を受け入れ悔い改めたそうです。 また、サルカウイ師(Sarkawi)によれば、マス バングン(Mas Bangun)の教会が完成し、5月2日に献堂式が行なわれました。 この教会だけでなく他に20もの教会が牧師が求められています。 西カリマンタンの羊飼いのいない羊の群れに、牧者が1人でも多く与えられるように祈ってください。 ≡ 新入会員紹介 小林道子さま ≡私にとってインドネシアという国は、世界地図を広げても特に気に止まる囲ではありませんでした。それが‘特別な国’になったのは、叔母の家の食堂の壁に貼ってあったクリスチャンパートナズのパンフレットを見たときからです。
私には3人の子供がおりますが、子供たちが成長するにつれ、意欲はあるのに様々な事情で勉強を続けられない子供たちの力になれないものか、とかねがね思っておりましたので、ご連絡をさしあげ、長女とあまり歳のかわらないユティちやんの里親にして頂くことになりました。 私はクリスチャンではありませんが、幼い頃より母からなにかにつけてイエス様のお話を聞き、子供たちはキリスト教を基にした教育の幼稚園に通い、長女はそのまま中学まで進んでいます。月に一度の母親への聖書を読む会には、もう何年も伺わせて頂いていて、ユティちゃんとの出会いもこのような日々の中で神様のお引き合わせのように思えるのです。子供たちと同様ユティちゃんの成長も楽しみに加わって、幸せに思っておりますと共に、海外に目を開く機会を与えられましたことを感謝しております。 本≪インドネシア≫ 小川忠 薯一多民族国家の模索- 岩波新書296 1993年 ¥580 上野亘(理事) 私たちが主の導きで、インドネシアの子供たちが一人でも多く就学できるように祈り始めて10年になります。その間少しずつインドネシアについて知るようになりました。 本書を読んで、私たちばかりでなく多くの人が関心を深めていると感じてうれしくなりました。 副題にあるとおり、多民族国家の複雑さの中で政治から経済・文化にわたって興味ある言及が多くありますが、多様な国情を統合する原理として「パンチャシラ」という国是が採用されていて、「公平で文化的な人道主義」「英知によって導かれる民主主義」「全国民に対する社会正義」などの五原則の第一に、「唯一神への信仰」が揚げられていることに注目させられました。 「通信」第11号にあるようにインドネシアの宗教分布はイスラム教88.2%、プロテスタント5.5%、カトリック3.0%、ヒンズー教2.1%、仏教1.0%となっています。 クリスチャンパートナズの現地の働き人は、このような場所で日々の宣教に取り組んでいるのです。 ちなみに著者小川氏は現在、国際交流基金総務部捻務課勤務。1989年4月から1993年1月までの4年間、国際交流基金ジャカルタ日本文化センターの駐在員として、インドネシアの文化活動を担っている新開・TV・映面・音楽・伝統芸術関係者などと親しく交わり、同時に日本の文化を紹介する仕事を通してインドネシアを深く理解するようになりました。インドネシアについてのもっとも新しい情報が得られる好著です。 クリスマスカードとプレゼントの発送報告 期限までに事務局にお送りいただいたカードは4通 プレゼントとして送金のあったもの16件(¥34,000) 以上、シンガポール事務所あて送りました。ご協力を感謝します。 <縮集後記>第18号も理事総出で編集しました。本部やシンガポールからも世界各地のニュースが届いています。締め括りは鳥海理事がバチッと決めました。皆様のご投稿をお待ちしています。この通信が会員の楽しい交わりの場になりそうです。 (草野記) |