クリスチャン パートナーズ通信 第22号発行日/1995年1月31日 10周年記念の集い、なごやかに開催
記念の集いは鳥海理事の司会、草野理事長の挨拶で始まり、安海靖郎牧師によるインドネシアでの宣教とこの国の現状についての講演、安海夫人による異なる環境での困難な生活のお話、実枝さんからは子供として暮らした時の経験や里子の手紙の翻訳を通しての感想などを伺いました。 木ノ内理事は1986年にポンティアナックを訪問されて時のスライドを使って、現地の里子の生活の様子を紹介されました。 安海牧師のお話は…
スライドによるカリマンタンでの宣教活動の紹介は、オランウータンを家族の一員とする自然に囲まれた生活でもありました。 日本では決して体験することのできないこのような生活があることへの新鮮な驚きを出席者に与えました。 それと共に最近のインドネシア事情にも踏み込まれ、オランダの植民地であった頃からの形骸化したキリスト教会がリバイバルの動きを見せ、特にイスラム教からの改宗者の増加と奥地の宣教活動の活発化などがあげられました。 また華僑とインドネシア先住民の確執の歴史的背景カリマンタンの奥地から追われて中国系住民がポンティアナックに流入し、それと共にスラム街が出来たことなどが説明されました。 『インドネシア近年ジャカルタなど中心部の発展近代化はめざましいものがありますが、しかしその繁栄の一歩裏をみれば貧困があります。一部の豊かさと極端な貧しさ、それが共存しているのが現状でもあります。』
安海夫人のお話
『カリマンタンではワニ、スクスク、イタチ、猿と隣り合った丸木小屋での生活でした。
水浴や、雨水を飲料水とする日々は日本での経験や学校で習ったことは何一つ役に立たず、現地の人に生活の仕方を学ぶことから始めなければなりませんでした。 しかしそのような苦しい生活を通して、家族全員がたくましい人間に変えられ、信仰的にも成長して行きました。 そのような自然の中で育ち、母親から小学校教育を受けた三人の子供たちが今では社会人・神学生になっていますが、勉強に追われるだけで自然のなかの生活を知らない日本の子供たちがかわいそうに思えてくる、別世界での生き方がそこにはありました。』 実枝さんお話は…お母さん先生に習った「安海」小学校時代のこと。野生動物が遊び相手だった生活や、午前中は「教室」で勉強という自分たちと、午後学校にいく現地の子供たちとのすれ違いの日々など、私たちの想像を越えた体験を伺いました。
また、その当時学ばれたインドネシア語の貴重な知識をもって里子の手紙を日本語に訳して下さり、里親たちに少しでも多く彼らの生活や気持ちを知ってほしいと願っておられます。
木ノ内理事のポンティアナック訪問木ノ内理事は、1986年クリスチャンパートナーズの理事をして初めてポンティアナックの里子を訪問されました。
その時写されたスライドで、スラム街とそこに住む、私たちが学費を援助している子供たちの紹介をして下さいました。 『電気もガスもない、また湿地帯とう極めて不衛生な環境での子供たちの生活日本にいたのではわからない、実際にこの目で見ないと実感のわかない生活がそこにありました。 しかしキラキラと輝く目をした子供たちの表情に、この子たちの将来をみることも出来ました。』 私たちがこの子供たちに学費を援助することの意義を知らされると共に、現地で献身的に働くパートナーズインターナショナル職員の生活も垣間見る機会となりました。 いちばん小さなお客さま安海実香ちゃん 小学4年生 小さいときは、インドネシア語が日本語より上手だったとか お茶をいただきながらうかがった
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草野理事長と司会の鳥海理事 |
『この時以来、神にすべてを委ねることを知りました。』と夫人が話を結ばれると、息をつめて聞いていた皆さんの口から、ほっとため息が洩れました。
会場は上野理事のご尽力で拝借できました。
写真は宮澤悦子会員のご協力によりました。
インドネシア語ABC(9)
この号では、次の文例から復習をかねて、文の構造、語順、慣用句等について学びます。
Pontianak ibu kota Kalimantan Barat.(ボンティアナック イブコタ カリマンタン バラット)
ポンティアナックは西カリマンタンの首府です。
Kalimantan Barat ialah salah satu propinsi dalam Pulau Kalimantan.(カリマンタン
バラト イアラ サラサトゥ プロピンシ ダラム プーラウ カリマンタン)
西カリマンタン島の州の一つです。
Pontianak ada jumulah penduduk lebih kurang empat ratus ribu(400,000)jiwa.
(ポンティアナック アダ ジュムラ プンドゥドゥク ルビクーラン アンパットラトゥス
リブ ジワ)ポンティアナックは人口全部で約40万人です。
Pontianak kota yang paling besar dalam propinsi itu.(ポンティアナック コタ ヤン
バーリン パーリン ブサール ダラム プロピンシ イトゥ)
ポンティアナックはその州では最も大きな町です。
Kamim sedang menjalankan suatu rencana yang di-kenal sebagai SAC untuk
menbantu anak anak dalam daerah itu.(カミ スダン ムンジャランカン スアトゥ レン
チャナ ヤン ディ クナール スバガイ SAC ウントック ムンバントゥ アナアナ ダラム
ダエラ イトゥ)私どもはその地域の子供たちを援助するためにSACという呼称で知られ
ているプログラムを実施しております。
Anak-anak yang terima bantuan itu bersekolah SD dan SMP.(アナアナ ヤン テリマ
バントクアン イトゥ プルスコラ エスデー ダン エスエムペー)
この援助を受けている子供たちは小学校と中学校です。
Rencana SAC sudah di-jalankan selama sepuluh tahiun.(レンチャン SACスダ ディ
ジャランカン スラマ スプル タフン)SACプログラムは既に10年間実施しています。
Sekarang anak anaak angkat dalam rencana itu jumlahnya empatpulu tujuh.
(スカラン アナアナ アンカット ダラム レンチャナイトゥ ジュムラニャ ウンパットプ
ロ トゥジュ)現在このSACの里子は47名です。
Masih ada banyak anak di sana yang perulu bantuan SAC.(マシ アダ バーニャ アナ
ディサナ ヤン プルル バントゥアン SAC)
そこにはSACの援助を必要とする子供たちはまだ大勢おります。
Kami harap banyak lagi orang jepang sudi ikutserta dalam Rencana SAC itu.
(カミ ハラップ バーニャ ラギ オラン ジュパン スディ イクットスルタ ダラム レン
チャナ SAC イトゥ)私どもはもっと多くの日本人がこのSACプログラムに参加されることを希望しています。
上記文例の語彙の説明
ibu kata ibuは母、婦人、kataは町で、ibu kotaで首府の意味。Iakah即ち。
Salah satu.の一つ、英語のone of。Propinsiは英語のprovinceで、行政上の州。
Dalam.の中、深い。Pulau島。Jumulah合計。Penduduk住民、人口の意味でduduk
(座る、住む)の派生語。Lebih kurang多かれ少なかれ、大体、lebihより多い、kurang
少ない。Jiwa精神、人。Yango paling besar最も大きいもの、yangは関係代名詞、paling
最大の、besar大きい。Sedang進行中を意味する副詞。
Menjalankanはjalan歩くの他動詞形で実施するの意。Suatu rencana在る一つの(suatu)
計画(rencana)di-kenalはkenal知るの受動形。
Sebagai SACのSesbagaiは英語のas(として、の様に)。untuk..の方向に、ために。
Membantuはbantu(助ける)の強調形。
Terima受ける。Anakこども、anak anakこどもたち。daerah地域。bantuanはbantu
の名詞形。Bersekolahはsekolah学校の動詞形で、学校に通っている、学ぶ。SD SMP
のSD(seskokah)は小学校、SMPは中学校(sekokah menengah pertam)。Selamaは
英語のas long as(…の期間にわたって)sekarang 今現在。Anak angkat養子。
Jumulahnyaはjumulah(合計)に接尾語nya(英語のits、his、theirの意味で修飾す
る語の後に付ける)が結合し、その合計という意味。Masih今なお。Perulu必要とする。
Harap希望する。Lagi更に。Sudi進んで、英語のwilling。Ikutserta参加する。
★静岡在住スポンサーの会★
1月14日(土)午後2時より、新装成った静岡一番町教会(静岡市一番町36)の会議室で、13名が出席して静岡での初会合をもちました。
草野理事長の挨拶と開会祈祷、ついで中村牧師のお話。師は、遠くインドネシアの児童に副音教育のため送金するのは、神の栄光が現れるようにとのイエス・キリストの祈りに支えられている働きであると励ましてくださいました。(ルカによる副音書22:32)
松本理事 |
続いて松本理事によるインドネシアの国・風土・政治・社会・宗教全般にわたるお話。
多様性の統一を実現しているパンチャシラの原則、対立を好まぬ相互扶助による独特な稲作文化について、理事自身の長い滞在経験をご紹介くださいました。
静岡在住の会員、畔柳・宮本・久保田・竹沢さんから質問もあり、イスラム教徒が圧倒的に多い中での伝道の難しさ、お子さんを抱えて異国で奉仕しておられる宣教師の苦労を覚えつつ、お茶の一時で懇親を深めました。
東京から宮澤・鳥海理事も出席、松本理事がお持ち下さったインドネシア民謡のテープを聞きつつ、再会を期してお別れしました。
「第一線で」1994年7月号によると、インドネシアで最近珍しいことが起きました。
牧師がイスラム教徒の父親から娘の結婚式の司式を頼まれたのです。
娘の結婚相手はクリスチャンで、通常父親はこのような結婚は認めないのですが、若い二人は牧師に相談し、式の二日前に洗礼を受けました。
結婚式には50人ものイスラム教徒が出席し、牧師の説教を聴きこの結婚の証人になりました。
普通、正統なイスラム教徒はキリスト教会に入ることも説教を聴くことも、大きな罪を犯すことと考えて決してしないそうです。
この父親と結婚式の客がキリストを知るようになり、神が彼らを用いてこのイスラム社会に伝道する機会を与えられるよう祈ってほしいとあります。
牧師がイスラム教徒の父親から娘の結婚式の司式を頼まれたのです。
娘の結婚相手はクリスチャンで、通常父親はこのような結婚は認めないのですが、若い二人は牧師に相談し、式の二日前に洗礼を受けました。
結婚式には50人ものイスラム教徒が出席し、牧師の説教を聴きこの結婚の証人になりました。
普通、正統なイスラム教徒はキリスト教会に入ることも説教を聴くことも、大きな罪を犯すことと考えて決してしないそうです。
この父親と結婚式の客がキリストを知るようになり、神が彼らを用いてこのイスラム社会に伝道する機会を与えられるよう祈ってほしいとあります。
本
≪いまだ見ぬ地≫主に従った婦人たち宮本純子・奥山篤・熊井仁子・安海通子・虎川清子共著
一粒社 1991年 ¥1200
一粒社の『主に従った婦人たち』シリーズの10冊目。海外宣教の召命に応え、夫と共に、幼い子供たちを伴って、あるいは単身で海を渡り、開拓伝道・聖書の翻訳・社会奉仕等に尽くした婦人たちの記録です。
「いまだ見ぬ地」にいかに導かれたか、主に従うとは如何なることかを、余すところなく語っています。10周年記念の集いでお話くださった安海夫人も著者の一人です事務局にありますので、お申し出ください。
【理事会報告】
第78回理事会は1月28日一ツ橋学士会館で開催。前回議事録承認、11月12日会計報告了承、10周年記念の集いの評価反省、通信第22号原稿協議、第23号編集責任者は鳥海理事、理事長西カリマンタ再訪、香港でのパートナーズインターナショナル会議出席予定など。第79回理事会は3月31日(金)午後6時開催予定。
SAC会員の異動(通信第17号1993年8月掲載以降、敬称略・アウイエオ順)
新入会者:青木愛子、雨宮敬子、木村年成、高月紀伊子、中村清、守永誠治、淑子、吉川弘恵
退会者:内田友恵、是松玲子グループ
SAC会員の異動(通信第17号1993年8月掲載以降、敬称略・アウイエオ順)
新入会者:青木愛子、雨宮敬子、木村年成、高月紀伊子、中村清、守永誠治、淑子、吉川弘恵
退会者:内田友恵、是松玲子グループ
〈編集後記〉
★安海先生はアンテオ宣教会により宣教師として1972年から10年間西カリマンタンで奉仕されました。
★インドネシアでは現在新たな宣教師の入国を認めておりません。このような国の子供たちへの、キリスト教精神による学費援助の大切さを安海先生は指摘されましたが、私たちも同感です。
★社会がもっと寛容になって、戦争と難民のない世界になるように、今年一年また祈っていきたいと思います。
★今年も宜しくお願いいたします。
(木ノ内記)
★インドネシアでは現在新たな宣教師の入国を認めておりません。このような国の子供たちへの、キリスト教精神による学費援助の大切さを安海先生は指摘されましたが、私たちも同感です。
★社会がもっと寛容になって、戦争と難民のない世界になるように、今年一年また祈っていきたいと思います。
★今年も宜しくお願いいたします。
(木ノ内記)