クリスチャン パートナーズ通信 第23号発行日/1995年4月28日 草野理事長、西カリマンタン再訪草野理事長は、1993年3月の初訪問から3年目、今年3月に再度ポンティアナック市周辺の里子たちに会うため、各地を訪問しました。(第16号参照)2月18日にシンガポール事務所で打ち合わせ、同所のSAC責任者アイリーン・イークさんと職員アリス・リーさんの同行を得て、20日にポンティアナックに到着しました。
20日 ポンティアナックしないコタバル教会に里子訪問。 21日 アンジュンガンの神学校訪問(安海牧師が創立された学校)。当地で安海牧師、後任の太田牧師と、一緒に働いておられる安海牧師の長女直子さんに会う。 ナーバン教会、セティアバクティ中学校、アンテオケ教会、マセドニア教会で里子に会う。 22日 シンカワン市郊外ローバン村の教会訪問、里子の家庭訪問。 23日 ポンティアナック市に戻り、インドネシア・ミッショナリー・フェローショップの方々(安海牧師等を支えている団体)に面会。 西カリマンタ地域のCNEC理事長スルアリ氏(Suruari)に面会。 ミニ神学校(mini ETSI)訪問。 24日 再度シンガポールへ、訪問のまとめと調整。 26日 香港に集合。マカオで開催されたパートナーズインターナショナルの国際会議に出席。2泊3日で中国広東省の関係教会・学校を視察旅行。 3月5日帰国 ポンティアナック市内 コタバル教会で
コタバル教会では7名の里子が理事長一行を待ち受けていました。 理事長の英語をイークさん、リーさんが中国語に訳し、それを現地職員チャイさんと助手のエーケン(Aken)君がインドネシア語ににして、ようやく里子たちと話が出来るという時間のかかるコミュニケーションながらみんな一生懸命歓迎の思いを表そうとしていました。
ナーバン教会ナーバン教会で ここには3名の里子が集まっていてみんな成長して見違えるようでした。
マセドニア教会マセドニア教会に到着したのが予定より非常に遅れたため、里子たちはすでに帰宅していました。しかし…アンテオケ教会
アンテオケ教会にはスーシちゃんが待っていてくれました。 セティアバクティ中学校
セティアバクティ中学校では、中学校の教室には8名の里子が、学校の責任教師サムエル・デルス先生に付き添われて待っていました。
デスル先生自身、かつてSACの里子でした。
近くの教会の前で、ルノレラに会いました。 ローバン村 訪問記草野計雄
2年前の訪問の時、ローバン村はSACプログラムを始めようとしているところでした。そこでイークさんと話し合い、一地域に里子が集まっているほうが日本の里親にとって現地の実情を知るのに都合がいいと判断し、以後私たちとローバン村の結びつきが深まるはずでした。
しかし村ではなかなか専任の牧師が決らず、日本ではスポンサーの増加がはかばかしくなかったため、今後のことを見極めようというのが今回訪問の動機でした。 豪雨のあとのぬかるんで起伏の多い泥道や、崩れそうな茅葺きの家並みは、西カリマンタンでもこのあたりが特に貧しいことを示しています。 前回にも訪れた教会は、過疎地にポツンと建った古いガレージ(それも土のうえに)といった風情です。しかしその外観から私の心によぎった不安は、たちまち喜びに変りました。 シンカワン市の教会から応援にきているヤップ(Yap)牧師夫妻、赴任したばかりの若い伝道師セティアディ(Setiadi)さん、それに3名の高校生が協力して開いている教会学校の生徒たちが続々と50名も集まってきて、歓迎の賛美歌を歌ってくれたのです。
先生「みなさん知っていますね。イエス様は?」
生徒「ハーイ、救い主です!」 先生「神様はいつも私たちを…」 生徒「愛しています!」 先生「私たちも神様を…」 生徒「ハーイ、愛しています!」 先生「皆さんもお友達と…」 生徒「ハーイ、仲良しです!」 この村にはSACプログラムの対象になっている子供が200名ほどいます。仏教・モスレム教が盛んなところであっても神の力に信頼して伝道しているとヤップ牧師夫人が話されました。 別れるとき、イークさんが気を利かして紙に包んだ飴を渡してくれたので、私はせめてもの気持ちを託して小さな手のひらにそれを配りました。「サンキュー」「サンキュー」と繰り返す子供たちも言葉の通じないもどかしさを感じていたようです。
教会学校のデモンストレーションのあとは、SAC児童の家庭を訪問することになり、ぬるぬる滑る路地に足を取られながら、教会の近くの家を尋ねました。
すでに夕方で低い軒をくぐると中は真っ暗、外では犬や鶏がけたたましく鳴き騒ぎ、近所の人たちが物見高く集まってきました。 まずお母さんが出てきて、懇ろな挨拶。「お父さん、早く、早く!」とせかされて、やっと陽に焼けたお父さんがシャツを着ながら現れました。 「SACの援助をありがとうございます。」「息子さんはよく勉強されるそうですね。」といった会話が、イークさん→チャイさんの通訳で交わされる間、リーさんは熱心にビデオ撮影、撮られ役も大変でした。 SAC援助金はどのように使われているのでしょうか ご存じのように月額4000円のなかの1000円は、日本国内での諸費用に充当し、3000円×里子数がシンガポール事務所に送られます。 シンガポールとポンティアナックの事務所で、理事長が収集した説明を総合すると、私たちが送る援助金は、1994年の実績で下記のように支出されました。
わかりやすいように、日本円で表示しますと‥ 西カリマンタンCNEC1994年の支出 530万円 内訳 西カリマンタンで使った額 414万円(78%) (月額34万5千円) シンガポール事務所が使った額 116万円(22%) 月額34万5千円の内訳は‥ 学校教育関係 16万円(47%) 宣教運動 11万円(32%) 医療・クリスマス・誕生日等 5万円(14%) 高校入学金・銀行手数料等 2万5千円(7%) (100円が約2200ルピアです)
日本からの援助金は、シンガポールで他の国々の送金とプールされて、西カリマンタンに送られます。 現在西カリマンタンには、700名以上のSACプログラム対象児童がいますが、学校教育費の一部は授業料や学用品購入のために、現金で子供たちに配られます。 あの広い地域に散らばっている里子たちにどうやってお金が届くのでしょう。 職員と同労者である牧師など40数名の人々がその役目をしています。 「貧しい家庭で、そのお金は生活費のなかに消えてしまわないでしょうか?」 「そんなことをすれば、友達や先生にすぐ分かってしまいますよ。まず大丈夫です。」と言うのが、エーケン君の答えでした。
彼もまたかつてのSAC児童で、チャイさんの援助で高校を卒業したそうです。
シンガポール発
西カリマンタンでは、毎年多くの若者が学校にいくため、家を離れてテルクメラノ町(Teluk
Melano)にやってきます。しかし、下宿するところが見つからないために、学業を続けられない者がいるので、ファム・ヘン・イェン(Fam
Hen Yen)牧師は学生センターを建設する決心をしました。 |