クリスチャン パートナーズ通信 第25号発行日/1995年11月28日 西カリマンタン宣教25周年去る7月3日~6ポンティアナック市では、パートナーズインターナショナルの西カリマンタン伝道開始25周年を祝って、盛大な祝賀会が開かれました。州内で働く65名の専従職員が集まり、シンガポール事務所のチャン師はじめ多くの来賓の見守るなかで、5名が按手礼を受け手牧師に任命され、55名が「副音伝道者」の責任を委ねられました。
これで、現在西カリマンタンで伝道に従事している人は72名になり、その働きのガイドラインも作成中です。この祝典を通して、《インドネシア・キリストの慈悲教会》(GKRI)に属する者たちの団結が深まりました。やがて中央カリマンタンにも副音をのべ伝える時が来るでしょう。
新しい企画は、シンガポールの農大を出てリー・シン・コン博士(Lee Sing Kong)の協力を得て、西カリマンタンに農業訓練学校と農業計画を促進するセンターを開設することです。ダヤックの人々の生活改善に役立つことを目標にしています。 この企画を政府がすみやかに許可しふさわしい働き人が与えられるようお祈りください。 25周年を祝う礼拝でチャン師は出エジプト記39章32・43節を選び、『忠実な僕への主の祝福』と題して説教しました。
「イスラエル民族が神のご命令を取り次ぐモーセに従って幕屋を建て、神に祝福されてように、今日私たちも御言葉に従って身リストの生きた体である教会を建てる。 神のご命令どおりに建てられていれば、主が祝福してくださる。私たちの労苦の報酬は神の祝福である。」
日本からの20万円をはじめパートナーズインターナショナルの仲間たちの支援でポンティアナクのミニ神学校は待望の新校舎を購入しました。 25周年記念の行事もここで行われました。チャン師から感謝状を届いています。 多くの神学生が学ぶ場所を与えられ、成長することでしょう。 主の恵みが豊かに注がれるよう、今後もお祈りください。 <> 中国の教会を訪問して木ノ内一雄 去る3月2日より13日まで東京神学大学のアジア伝道論演習の授業の一貫として香港、中国の教会を訪問する機会を得ました。
中国は6日間、ザーメン(アモイ)、上海、南京と回りました。田舎に入り、教会の人達と親しく交わることが出来たのは私にとって貴重な経験でした。 中国は世界で2番目に広い国土を、12億という世界の22%を占める世界一の人口を持った国です。 人々は古来から自然宗教を信じ、かつての支配者の任務は天の神を祭ることと、政治でした。孔子(前551-前479)の儒教、老子の道教、そして後漢の永平10年(67)に中国に伝わった仏教も、革命前まで広く人々の間で受け入れられていました。 キリスト教の歴史は、使徒トマスが中国にキリスト教を伝えたという伝説がその初めです。 ネストリオス派(景教)は635年、長安に伝わりました。1292年、最初のカトリックの宣教師しジョバンニは、北京で厚遇を得うけ、3万の信徒をつくったといわれます。 1582年、イエスズ会士、マテオ・リッチとルジェリは、マカオから広東省、江西省、さらに南京・北京で宣教しました。しかし後に続いたフランシスコ会との間で大論争(典礼問題)を起こし清は1723年キリスト教を禁止しました。 プロテスタントは1807年、ロンドン伝道会がR.モリソンを中国に送りました。以来イギリス、アメリカ、ドイツの宣教師が数多く続きました。彼らは教会だけでなく医療、教育機関の設立、社会厚生施設にも力を注ぎました。 その結果、1949年の中国共産革命直前にはカトリック327万、プロテスタト70万の信徒を数えました。 中国人民共和国成立後、政府は宗教をアヘンとみなし、宣教師を国外に追放し、中国人キリスト者を弾圧しました。また1966年から始まった文化大革命は中国の古くからの文化と伝統を壊し、外国の影響を徹底的に排除し、自分たちの新しい社会をつくろうと試みました。こうしたことから、中国のキリスト者は根こそぎにされ、中国での伝道は失敗に終わった、との判断が西欧キリスト教社会でなされるようになりました。 中国の教会についての比較的正確な情報が入るようになったのは最近のことです。 しかし、今でも中国の教会についての情報は多くはなく、今回の旅行でも行く前、中国共産党の人が私たちに同行するのではないか、中国のクリスチャンは本当のことを私たちに話せるのだろうか、私たちもまた自由に何でも質問することが許されているのだろうか、といった不安がありました。 しかし、実際に中国教会関係者の暖かい歓迎を受け、また自由にあちこちとを訪ね、人々と交わるあいだに、中国は行く前に予想していたよりもっと開かれた社会でることに気付かされました。 建設中の近代的都市と田舎の人々の貧しいくらしのその格差に驚き、大きな教会や立派な礼拝堂で「聖日礼拝に出席する数千の会衆には大学教授や文盲の主婦が混じっていてどのように副音を語ったらよいのかが悩みです」といった話を牧師から伺い親しみを覚え、南京の「浸華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館」では日本文による30万人の犠牲者を示すレリーフや展示の写真、生存者の証言、多くの被害者の人骨を見て衝撃を受けました。 この6日間の旅で、現在約3千人の牧師がいて、その平均年齢は75才に達すること、当力された教会は8千、その他ミーティング・ポイントと呼ばれる集会所が3万、そしてこれ以外に登録されていない、30人から500人ぐらい集まる「家の教会」が3万箇所ぐらいある、といったことを伺いましたが。神学校も中国全土で13あり、神学生の数は約700名、卒業生数は毎年約200名だそうです。神学校へのへの入学希望者は多いそうですが、授業の数や教室数、寄宿舎等施設の関係でこれ以上増やすことはできないとのことでした。 この中で全国規模の神学校はは南京合同神学院だけで、ここには大学院課程もあり、学生数は150人、通信教育のも3千人の学生が登録され、平信徒伝道者のための自習書も隔月に3万部、出版しているそうです。また欧米にも留学生を送っていました。また登録された中国の教会は私たちも訪れた次の3つの組織と密接な関係を持っています。 中国プロテスタント教会三自愛国運動委員会は、1954年に組織され三自、すなわち自治、自養、自伝により中国教会の土着化を目指しています。またこの委員会が中央、地方政府と教会との橋渡となっています。 中国キリスト教協議会は1980年に組織され、その目標は中国合同キリスト教会の設立だそうです。 今の中国の教会をその過渡期と位置づけ「合同しつつある教会」(uniting church)と表現していました。愛徳基金会は1985年に設立され、中国における健康、教育、社会福祉への寄与及び農村の発展を目的としています。 また基金会と合同聖書協会の合弁に愛徳印刷会社があり、1987年以来、千万冊の聖書とその他書籍類を印刷しています。 最初にザーメンについて感じたように、中国は今、中国式修正主義とう名目で、実質的に市場主義の道を歩み始めています。 それは共産主義による国家の建設等人々の共通の夢が崩れてしまった、とうことでもあります。 共産主義は結局、戦前の貧しい中国をある程度の生活水準にまで高めたとう貢献はありましたが、中国が持っていた豊かな伝統と文化、人々の心の豊かさをも砕いてしまったように見えます。 党はこれまでの権威と権力を何とか維持しようとしていますが、改革解放を進めれば一党独裁の弊害や社会のひずみもこれからますます表面化せざるを得なくなるでしょう。 極端なお金持ちと売春婦や乞食の出現、党幹部による汚職や犯罪の多発などは日本の新聞などにも報道されています。そうした反面、信仰の自由政策により多くの人が協会に押し寄せてきているという事実があります。 失敗に終わったと思われていた中国宣教が、実際には文革の終わった後、キリスト者数は逆に大きく増え、そして現在、登録されている教会の会員だけでも1200万人(注)と言われています。 彼らは「迫害の間、祈っていました」と言います。隠し持っていた聖書読み、その信仰は親から子へと家族から友人へと拡がっていったといいます。そして今、彼らは二代目、三代目、四代目のクリスチャンを連れて教会に戻って来ました。 彼ら共に拝金主義では決して心が満たされない多くの人も教会に押し寄せてきています。 こういったことはここ3年ぐらいの間に急激に起こったことです。 今回訪問した私の目から見ますと、中国にはキリスト教信仰の受け皿ができているように見えます。欧米の宣教により建てられた大きな教会や礼拝堂があちらことらにあります。 また、私たちと一緒に旅行をし案内してくれた香港にいる改革派のアメリカ人宣教師は自由に標準語、広東語その他の方言を話し、中国の人の心を掴んでいました。 彼は戦前のやり方を反省し中国の教会の土着化を助け中国の教会と新しい関係を築こうとしています。しかし私たち日本人と中国人の間は引き裂かれたままです。 戦争については「日本の軍がやったことで日本の人民には関係がなかった、日本の人民もまた我々と同じように被害者だった」と公式的に答えます。 しかし彼らの本心はどうなのでしょうか。私たち日本人の心からの反省と誠意がないままに、本当の日中友好が築かれるとは思えません。 革命と文革を経験した中国協会の指導者は「私たちは死と復活を経験しました」言いました。彼らにはこのような経験をした者が持っている信仰の強さがありました。このような中国の教会から学ぶことは多いはずです。 隣国の中国、そして韓国、そしてアジアの教会と学び合い、助け合うことなくして日本の教会の復活もないのではないでしょうか。 注: 4月29日の朝日新聞には「文革で痛めつけられたキリスト教は、改革解放と信仰の自由政策で息を吹き返した。全国の信者は3千万人とも5千万人ともいわれる」とありました。中国でカトリックとプロテスタントは分けて考えられていますが、この数字は一緒にしていると思います。また、5月3日付けにニュース・ウィーク日本語版には、政府公認カトリック教徒400万人、非公認、推定600万人、とありました。いずれにせよ中国におけるクリスチャンの正確な数字の把握は困難です。
Ministry Highlights資金が充分行き渡らないため、パートナーズインターナショナルで宣教運動に従事している方々は、世界中どこでも非常に質素な暮しを余儀なくされています。《宣教ハイライト》7・8月号には、勇気が湧く言葉と題して、西カリマンタンで奉仕するある夫妻の、次のような会話を伝えています。「うちの家計には貯金をするゆとりはありませんが、借金をしなければならないほどでもありません。私の給料のなかで、信仰を同じくする友人を助けてもいます。」「お金がないなんて言ってはいけませんよ。お金が少しでもあるときにはそれだけ沢山食べ、少ししかない時は、少ししか食べないんです。」 シンガポール発
西カリマンタン、セドワイ村のピウス(pius)牧師からの報告によると、「この村には伝統の武術(空手のようなもの)を教える者が居て、生徒は20人ほどですが、その中には教会学校にきている子供も混じっています。親たちは子供が武術を学ぶのは良いことだと思っていました。困ったことに、彼らの練習と教会学校が丁度同じ時間だったのです。 |
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新入会員紹介
静岡YWCAとクリスチャンパートナーズとの出会いは、2年前の会員例会で草野理事長からカリマンタンのお話をお聞きしたのが始めでした。それから時を経てその活動が少しずつ理解され、個人でまたグループでスポンサーになる方が出てきました。
そのような祈りに、草野夫人の素敵なファッションセンスに常に関心を持っていたメンバーが、自分たちの腕も考えず、「私たちにも洋裁を教えてください」とお願いしましたところ、快く引き受けていただき、念願の洋裁教室が始まりました。
静岡市女性会館の明るいアトリエで、スタートしたこの教室で、SACスポンサーにグループでなろうという声が上がり、増えていったらと考えております。
月1回の楽しい洋裁教室では、仕立てあがった時の夢いっぱいで未完成のファッションショーも展開されます。これからはこれにSACの奉仕が加わります。
今月はクリスマスカードを作ります。これが里子たちのところに届くことを楽しみに、YWCAと共に祈りを捧げるメンバー達でありたいとおもっています。
グループ代表 岡本純子(1995年11月)
そのような祈りに、草野夫人の素敵なファッションセンスに常に関心を持っていたメンバーが、自分たちの腕も考えず、「私たちにも洋裁を教えてください」とお願いしましたところ、快く引き受けていただき、念願の洋裁教室が始まりました。
静岡市女性会館の明るいアトリエで、スタートしたこの教室で、SACスポンサーにグループでなろうという声が上がり、増えていったらと考えております。
月1回の楽しい洋裁教室では、仕立てあがった時の夢いっぱいで未完成のファッションショーも展開されます。これからはこれにSACの奉仕が加わります。
今月はクリスマスカードを作ります。これが里子たちのところに届くことを楽しみに、YWCAと共に祈りを捧げるメンバー達でありたいとおもっています。
グループ代表 岡本純子(1995年11月)
【理事会報告】
第81回理事会は9月2日一ツ橋学士会館で開催。
前回議事録承認、1995年6月度および7月度会計報告承認、1994年度決算決算について松本監事より監査報告あり、承認。通信第25号編集責任は鳥海理事、内容は木ノ内理事の寄稿とミニ神学校、西カリマンタン伝道25周年報告など。
第82回理事会は12月2日(土)午後5時開催。
前回議事録承認、1995年6月度および7月度会計報告承認、1994年度決算決算について松本監事より監査報告あり、承認。通信第25号編集責任は鳥海理事、内容は木ノ内理事の寄稿とミニ神学校、西カリマンタン伝道25周年報告など。
第82回理事会は12月2日(土)午後5時開催。
〈編集後記〉
待降節がまた巡って来ました。
今回は社会人から神学校に戻って学んでおいでの木ノ内理事に、中国での貴重な体験をお書きいただきました。
向寒の折、健康にご留意ください。主のお守りのうちに、恵まれたクリスマスと良き新年をお迎えになりますよう祈ります。
(鳥海百合子)
今回は社会人から神学校に戻って学んでおいでの木ノ内理事に、中国での貴重な体験をお書きいただきました。
向寒の折、健康にご留意ください。主のお守りのうちに、恵まれたクリスマスと良き新年をお迎えになりますよう祈ります。
(鳥海百合子)