クリスチャン パートナーズ
通信 第35号
発行日/1998年4月30日
西カリマンタンに里子を訪ねて 2
宮澤玲子
鳥海百合子
新鮮な海老やなまこを中華風に傷めた昼食を取った後、私たちはシンカワン教会にジェイコブ・ヤップ(Jakob Yap)牧師夫妻を訪ねました。
まだクリスマスの飾りが残る十二畳ほどの広さの教会堂で、貫禄のある長身の牧師と白髪の美しい小柄で温厚な雰囲気の夫人が持っていて下さいました。
シンガポールからアイリーンが苦労して運んでくれた大きな荷物は、ロバン村の人々のための古着で、無事ヤップ夫妻の手に渡されました。郵便で送ることは、紛失したり法外な関税を要求されたりすることがあるので、機会があればこのようにして人の手で運ぶそうです。
スキ牧師 ヤップ牧師夫妻 |
ロバン村の子供たち |
シンカワン市の北東の郊外にあるロバン村は、奥地で先住民から迫害され無一物で逃れてきた中国系(客家)の人々が多数を占める、いわば難民キャンプであること、主として商業を営み、かつては相当豊かであったこの人たちは共産主義との関係を疑われ、無実であるにもかかわらず全てを失って、将来への希望もなくこの村に暮らしていること、ほとんど学校教育を受けていない大人は客家語しか話せず、母親たちは予防接種の意味が分からず、恐れて子供を隠してしまったり、産児制限の必要性がどれほど高くても当人たちには理解できず、ヤップ夫人が友人の保健婦を招いて教育を試みたり…といった内容でした。
ヤップ牧師夫妻の指導で、シンカワン教会から十分ほど車で行った岡のうえにロバン村教会がありました。
ロバン村教会で賛美歌の 指導をするスキ牧師 |
クリスチャンパートナーズのリーフレットの写真で見覚えていた教会堂に子供たちが集まっていました。平日の午後で二部授業のため大きい子供たちは少ないようでした。
ほっそりした体つきの若いリウ・スキ牧師(Liu Suki)が指導して賛美歌を歌わせながら、私たちを向かえて下さいました。
ロバン村便り(通信28号、30号)を送ってくだっさったボン・ケン牧師の後任者です。
彼女の話では、日曜学校の出席は160名、若い人たち40名と、大人は中国系の女性が多く、15人ほどが礼拝に出ているとのことでした。
ケン牧師はダヤック系で中国語を話しませんでしたが、スキ牧師は中国系なので出席者に分かる言葉で説教が出来、村民とのコミュニケーションも自由です。
多民族国家における伝道の難しさの一つです。
教会に集まった子供たち |
私たちも子供たちと一緒にインドネシア語でクリスマスの賛美歌を歌いましたが、コタバル教会の子供たちの元気のよい楽しそうな歌声に比べると、明るさが足りないようで気になりました。
アケンが里子の名前を呼び、ヤップ牧師に促されて前に出てきた里子たちに、宮澤が土産の文房具を渡し、鳥海が写真を撮りました。
日本の里子20名のうち、出席していたのは13名でした。小さい子供たちにはキャンディが配られました。
ちなみに、ケン牧師は今ボドク周辺にある四つの教会を巡回指導しているそうです。
昨年春に起こった人種暴動(通信31号)の時、ロバン村に住むマドラ人がダヤックのケン牧師に危害を加えることがあってはと案じたヤップ牧師は、ケン夫人の郷里である内陸のボドクへ一時避難するように勧めました。
指導者のいなかったその地域の教会ではケン牧師を歓迎し、以来彼は多忙を極めているとのことです。
土産を受け取るチン・シァウ・チー | トリヤント | ブイ・ニュン |
それから、ヤップ夫人は私たちをロバン村の中へ案内してくださいました。
父親は出稼ぎに行って来ず、母親も近くの工場などで働いている家庭がほとんどで、留守の家は戸が閉ざされ、家の前や路地には子供たちが大勢遊んでいました。
ロバン村の家々 |
村は西に向かって急勾配になっている岡の斜面に位置し、家々は互いに寄り掛かるように数軒ずつ連なって建っています。
その間を上がったり下がったりしてくねくねと細い道が通り、下のほうの井戸らしいものと流し場のあたりには、あひるや鶏が数羽歩いていました。
家の前に植えてある日除けも兼ねた蜜柑の木には、緑の葉の陰に色も形も異なる袋がいくつもぶら下がっていて奇妙な光景でしたが、大事な実を守るためと聞き、少しでも生活を豊かにしようとする村民の気持ちを知って、少し心が和みました。
ヤップ夫人は全家庭を熟知していて、母親に声を掛けて子供の様子を聞いたり、私たちを里子の親に紹介したり、各家庭の現状を説明したりして下さいました。
火吹き竹を使って、土間の台所で 働くファン・ブイ・スィアン |
一軒の家の前に集まっていた少し年長の少年たちは、余所者に対する警戒心をあらわにして批難の眼差しで、通りすぎる私たちを見ていました。
ヤップ夫人と一緒でなければ訪れることの出来なかった村内で、私たちは人々の実像を垣間見たのでした。
子供たちは学校に行けばインドネシア語を学び、将来性のある職業に就くことも可能になります。
SACがそれを援けているわけですが、男の子は少し大きくなると働きに行かされてしまうことが多く、女の子にはもっと過酷な運命が訪れることがあるようです。
ヤップ牧師からの緊急援助要請 ロバン村教会の建っている土地は借地で、三月末に契約が切れます。 地主は買うか返すかしてほしいと言っています。私たちの希望は、この土地と隣接する土地とを一緒に購入し、会堂も改修したいのです。 その費用はおよそ二十万円です。ぜひ、日本の皆様のご協力をお願いします。 理事会はシンガポール事務所と協議し、この要請に応える決定をしました。 |
ロバン村の家々は大方が椰子の葉を葺いた小屋で、土間の台所と板敷きの一部屋で出来ているようですが、その中で目立つのは「香港や台湾にお嫁にいった娘のいる家は、彼女たちの仕送りでペンキが塗られてガラス窓が入っています」とヤップ夫人が説明してくださった家々でした。
ロバン村をこの目で見るという貴重な体験をして、その悲惨な現状に心を痛めながら、その中で献身的に働いておいでになるヤップ牧師夫妻、スキ牧師の明るい笑顔に励まされて、私たちはポンティアナックへの帰途につきました。
日本が援助する里子の数が最も多く、かつ最低の生活を強いられているロバン村の人々を、どのように支えていったらよいのか。
希望のない人々に、福音と共にその日の糧を充分に与えるには、どんなことが出来るのか。
沢山の課題を半芻しながらの車中、皆疲れ果てて無言でした。
旅の終りの一行 |
アケン、アンドレアス、スイケン、アイリーン、宮澤 |
翌朝ケアケンとアンドレアスに見送られ、私たちはポンティアナック空港で再びストウ氏に迎えられ、列車でジョホールバルに戻るスイケンと別れました。
彼女にとっても初めての経験だったこの旅は、今後マレーシアでSACの仕事をしていく上で役に立つでしょう。
シンガポールの植物園で アイリーンと鳥海 |
この旅行の計画から引率まで全て責任を負って働き通したアイリーンはさすがに疲れた様子でしたが、夜には妹さんに運転させて、私たちにシンガポールでの最後の夜を楽しませてくれました。
1月10日夕刻、赤道直下の国から雪の残る東京に無事戻りました。
【理事会報告】第95回理事会は1998年4月17日一ツ橋学士会館で開催。
前回議事録承認。2・3月度会計報告承認。
サンタの会よりの援助金はカナダPI経由でミゾラムへ。
通信第35号原案承認。発送5月1日。
第36号は新年度で理事長挨拶、決算・予算、国連ボランティア年、里子紹介、書評などで、7月下旬発送予定。
会則第5条に「顧問」の項を追加。チャン牧師夫妻9月29日成田に一泊。ロバン村への援助決定。
その他。第98回理事会は7月17日(金)一ツ橋学士会館で開催予定。
〈編集後記〉ケン牧師は徒歩で四つの教会を巡回しているので、モーターバイクが与えられるように祈っていると、シンガポール事務所からの便りにありました。
経済危機の続くインドネシアで、里子たち、神学生や教会の奉仕者の生活はこの先どうなっていくのでしょう。
日本は新緑の季節ですが、こちらの経済も先行き不透明、案じられますね。
皆様のご協力を感謝し、健康を祈ります。(鳥海百合子)