クリスチャンパートナーズ
通信 第38号
発行日/1999年 1月30日
理事長 草野計推
1999年1月8日はクリスチャンパートナーズの第100回理事会でした。理事たちは発足以来の業績を振り返り、新しい課題について話し合いました。約14年間の、SACを中心とした援助の送金累計は1820万円に達しました。援助がなければ義務教育すら終了できなかった子供たちが成長した後に、この援助はされに大きな効果を発揮することでしょう。
1994年に東京で開催されたボランティア活動推進国際協議会(IAVE)世界会議に出席した私は、飢餓や災害時に緊急援助に活躍する指導者から、『SACのような援助が長期にわたって行われていれば、異常な飢餓やqさ意外に際しても社会の安定が保たれる』と説かれ、ぜひSACの活動を維持してくれと激励されたことが忘れられません。
私たちの里子が多いロバン村の教会を管轄する、シンカワン教会のヤップ牧師夫妻は、訪問した宮澤・鳥海両理事に村人の教育・啓蒙の必要性を述べ、栄養・保健衛生・医療など全般的な生活指導も行わなければ、現実に即した宣教ができないことを強調しました。
ロバン村の生活改善を支援することは、私たちにも出来るのではないでしょうか。
里子の弟たちと母親(ロバン村) |
現在、当会には約200万円の貯金があります。これは、理事たちが長年手弁当で奉仕して経費の節減に励んだ結果と、当会の活動に賛同してくださる方々からの献金よるものです。
ロバン村への特別援助に加えて、SACで義務教育を終了した児童に高校進学を可能にする奨学金の制度を、この貯金を活用して作れないかを、理事会では考えています。
最近、教会や教会員グループからも活動へのご理解を頂けるようになり、感謝です。
今年も海外のパートナーズインターナショナルとの交流を深めつつ、新しい援助の形を見いだしていきたちと願っております。
タイ北部で宣教するタンさんを訪ねて
木ノ内和美
ネリー・タン(Nellie Tham)さんは、CNECシンガポール事務所の職員であった時、SACプログラム紹介のために1986年3月に来日、発足して間もないクリスチャンパートナーズの会員に西カリマンタンの子供たちのスライドを見せ、話をしてSACへの理解を深める手助けをして下さった方です。 それ以来タンさんと交わりを続けていた会員の木ノ内和美さんが、宣教運動に携わるようになったタンさんを、タイの奥地に訪ねました。 |
チェンライ空港で待つこと15分、タンさんが十数年前日本で会った時と少しも変らぬ姿を現しました。
タンさん、木ノ内さん |
村の男性が運転するトラックで延々ニ時間。ようやく到着したリバー、マウンテン村には舗装された道路もなければ車も見当たりません。
鶏や豚などの家畜小屋の立ち並ぶ中、藁ぶき屋根の家が点在し辺りは一面に緑に覆われ、いたるところにバナナやパイナップルが自生している穏やかな村でした。
タンさんの住いは、もともと倉庫だったのを彼女が資材を取り寄せて改造したそうですが、こざっぱりして暮らしやすく工夫されていました。無論水道はありませんが、台所の蛇口からは井戸水が出ましたし、煮炊きにはプロパンガスを使っていました。
1ヵ月程前からシンガポールの大学生たちがボランティアで来ていて、村の大人や子供に英語や中国語を教えたり、村の教会を手伝ったりしていたのですが、私たちの着いた日が丁度彼らの滞在最後の晩になったので、一緒に村の家々を回り、歓談したり、お茶をご馳走になったちしました。
この地域の人々は山岳民俗の一つであるラオ族でミエン語を話します。
タンさんはミエン語を習得して、村民とのやりとりには不自由しません。一軒ずつ回っていくうちに、タンさんが村の人たちにどんなに信頼されているか、その働きがどんなに喜ばれているかが分かりました。
宣教活動の傍ら、青少年の更正にも尽力しているとのことでした。
教会の隣のカナダ人宣教師アンさんを交えて、タンさん宅で夕食をご馳走になった後、長老の家の前に村の人たちが集まってきて、竹の筒にもち米とココナツを詰めて蒸した珍しい食物や、竹の葉に包んだちまきをご馳走になりました。
子供たちとキャンプファイアーをしたり踊ったり、とても楽しい集いでした。私も、気が付くと子供たちとの輪の中にいました。
タンさん、木ノ内さん、シンガポールの学生たち |
そのあと再び村人の家々にお邪魔して、その興奮も醒めぬうち、タンさんのベッドに蚊帳を吊っていただいて眠りにつきました。
翌日、タンさんの家の前のテラスで朝食を頂いた後、学生の案内で教会を見せてもらいました。
一教室ぐらいの広さの会堂でしたが、正面の壁の中央に十字架が掲げられ、説教台の隣にある黒板には聖句がミエン語とタイ語で書かれてありました。うしろには、教会学校に日程表と担当教師たちの名前が記されていました。
アンさんの家では、長老であるラオ族のグエイ・フォングさんとアンさんが聖書をミエン語に翻訳しているところでした。
新約聖書はすでに訳されていて、旧約聖書を手懸けておられました。アンさんはもう三十年以上この村に住んでおられるとのことでした。
とても感心させられたのは、成人礼拝の説教、その他の奉仕はすべてグエイ・フォングさんたちに任せ、アン宣教師とタンさんは教会の後方支援、すなわち教会学校の奉仕に専念しておられることでした。
あくまでも宣教は村人自身に任せておられました。
キャンプファイアーを囲んで |
タンさんがタイ・ラオス・ミャンマーの国境線上にあるゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)を見学するツアーを計画してくださったので、シンガポールの学生と私たちは人々に見送られて村を後にしました。
以前麻薬を栽培していたことで知られているその地域を数時間かけて見て回った後、チェンライの宣教団体の事務所で、タンさんと学生たちと名残を惜しみながら別れました。
短い期間でしが、とても多くのことを学び、考えさせられた密度の濃い二日間でした。物質的には決して豊かとは云えない村の人たち、特に子供たちの澄んだ生き生きとした目が印象的でした。
それたの目の輝きは、日本の子供たちには失われている耀きです。改めて、幸福とは何かを考えさせられました。
タンさん、本当にありがとう。これからも良い働きをなされるよう祈っています。
後藤公子宣教師の近況 1991年6月に、西カリマンタンでの養護施設と神学校でのご奉仕についてお話をうかがった後藤宣教師は、米国留学を終え、1997年末から再びインドネシアで宣教に従事されています。 現在、ジャワ島のスラバヤに近いラワンにあるアレセイア神学校で教鞭を執っておられます。スラバヤ在住の日本人のための集会も開いておいでです。社会情勢が不安定な国での奉仕は危険を伴い、苦労の多い日々のようです。12月で切れる査証の延長が目下最大の難問とのこと。 《インドネシアだより》後藤公子女性宣教師支援の会会報16号より |
<Selamat Siang!>
<(今日は!)>
<私はチン・ブイ・トゥです、どうぞよろしく。>
Chin Bui Thu |
<Terima Kasih>
<(ありがとう)>
親愛なるスポンサー様、あなたのご援助を感謝します。お元気ですか。
私たちの西カリマンタンを尋ねてくださいませんか。お名前はなんとおっしゃるのですか。結婚していらっしゃるのかしら。私の家ではみな元気で、私もちゃんと勉強しています。どうもありがとう。
あなたの里子・チン・ブイ・トゥより(5年生)
静岡草深教会には「鷲の会」という高齢婦人の会があります。その中の有志がグループでこの少女の里親になっています。
彼女は中国系の家庭に生まれ、両親は仏教徒ですが、自身はクリスチャンです。父親は工場で働き、母親は家事をし、妹と弟は学校に行き、兄も働いています。
得意な学科は、インドネシア語で、読書が好きだそうです。
静岡一番町教会の草野さんがクリスチャンパートナーズの中心的役割りを負っておいでなので、私たちもその志に賛同した次第です。
私たちの援助金は現地の神学校のためにも用いられていて、子供たちの住んでいる村の人たちに神様の福音を伝える働きに役立っているとのことです。
私たちも、この小さなわざが神様のご用に役立つことを感謝しています。
里親グループ代表 村越陸子
【理事会報告】第100回利時会は1999年1月8日(金)一ツ橋学士会館で開催。前回議事録承認。
1998年10・11・12月度会計報告承認。通信第38号の内容協議、1月30日発送予定。
ホームページ作成準備。ロバン村の生活改善に財政援助の具体的提案をし、現地の反応を待つ。
里子の高等教育奨学金制度について、制度を持っているオーストラリアPIと連絡する。
新会員12名(3グループ)、現在里子56名、里親のない児童4名。
韓国Piからクリスマスの挨拶。岩崎理事、カナダPI企画によるインドの視察旅行に参加予定(2月25日~3月11日)。
第101回理事会は3月26日(金)一ツ橋学士開館で開催予定。
〈編集後記〉 寒中、お見舞い申し上げます。今冬は雨が少なく風邪がはやっていますが、皆様にはいかがお過ごしですが。インドネシアの社会情勢は一向にに改善の様子を見せず、キリスト教徒とイスラム教徒との争いも方々に飛び火し、会堂の焼き討ちや殺人にまで至っているそうで、案じられます。
昨年私たちが訪問した内陸の町ガバン(ナバン)にあった、美しいカトリックの教会堂も破壊されたとか。西カリマンタンのニュースなどめったに出ない日本の新聞に、知っている地名を見つけて複雑な気持ちです。
里子たちや家族、神学生や教師たち、動労者の安全をお祈りください。
(鳥海百合子)