クリスチャンパートナーズ
通信 第39号
発行日/1999年 4月21日
~東部の辺境ミゾラム~
クリスチャンパートナーズの援助活動は、インドネシア西カリマンタンの子供たちへの支援を中心に、徐々に活動の場と幅を広げ、内容を充実させてきています。
その1つの現われが、インド東部のミゾラム州にある親を失った子供たちの養護施設「ヘルモン子供の家」への援助です。このミゾラムプロジェクトは、1997年に静岡市の《サンタの会》がクリスチャンパートナーズに参加してくださったのを機会に、その会費をベースとして新たに発足しました。
インドでの援助活動は、これまでカナダのパートナーズが中心となって進めており、私たちもカナダと協力してこのプロジェクトに取り組んでいます。このほどカナダのパートナーズ支援者のグループが現地を訪れた祭に、私もこれに参加してインドでの活動の状況を見てきましたので、2回に分けてご報告したいと思います。
訪問地の一つミゾラムは、上記のように日本のパートナーズも関わっていますので、ミゾラムについて最初に報告しましょう。
ミゾラムは、インドの州の一つで、97年に現地を訪れた草野理事長が通信27号と36号に紹介していますが、インド旅行を経験された人でも足を踏み入れることの少ない土地ですので、繰り返しになりますが、その地のあらましをまず紹介しましょう。
ミゾラム州はインドの東の端、バングラディシュとミヤンマーに狭まれた山岳地帯です。そそり立つ千メートル級の山々と深い渓谷を流れるいくつもの川が人々の往来を妨げ、ここがインドとは思えない別天地を形作っています。
住民70万人の大部分が昔からこの地に住むモンゴル系の山岳部族ミゾ族の人々で、顔つきも日本人に似ています。
人々はインドで使われている1500以上の言語の一つ、ミゾ語を使っています。
識字率は87%とインド全州の中で二番目に高く、全国平均の52%をはるかに上回っており、ミゾの人々の教育への熱意の高さを物語っています。
ミゾ族の人々はほとんどがクリスチャンです。100年あまり前にこの地に入った宣教師の伝道が豊かの実った成果です。宣教師たちは1960年代にインド政府によって強制退去させられましたが、諸協会は地元ミゾの人々の手で整然と運営され、さらに発展して今日に至りました。
識字率が高いのも、聖書を読むことと深くつながっています。
さて私たちは3月6日夕刻、軽かったから空路ミゾラム州の州都アイザウルに着きました。アイザウルの空港は昨年できたばかりで、それまでは、最寄の鉄道の駅から180キロの山道を車で6時間も走らなければなりませんでした。
山頂に作られた新空港からアイザウルの市街まで行くのも、四輪駆動車で幾つかの山を越えて2時間あまり走らなければなしません。車は極めて悪く、道幅の狭いところでは遥か下方に谷底が見える断崖すれすれの所を走り抜け、私たちの肝を冷やしました。
道に面している家々の多くが崖に半分乗り出すように、長い梁僕に支えられて建てられているのが目立つました。日が暮れると、山々の各所で赤々と燃えているのが見えました。
作物の育つ雨期を控えて、焼畑を作っているのです。焼畑はこの地に暮らす人々の伝統的な農耕法ですが、人工の増加につれて森林の破壊が激しくなり、この地でも頭の痛い問題になっているようです。
翌7日は日曜日、私たちは小グループに分かれてそれぞれ異なる教会の朝の礼拝に出席しました。宿舎を出ると道路は、聖書を手に持ち、各々の教会に向かう人々で溢れていました。
聖書を手に教会に向かう人々 |
私が出席したのは郊外にある長老派教会で、かなり広い会堂でしたが、五、六百人の会衆で満員で、席のない人たちは戸口や窓の外に立って礼拝を守っていました。
驚かされたのは賛美歌を歌ったときです。オルガンもなく大小2つの太鼓のリズムだけで、男女会衆が老いも若きもごく自然に各パートを歌い、見事なハーモニーで、美しい賛美の歌を奏でていました。
礼拝はどの教会も一日に3回から5回なっており、私は別々の教会で昼の礼拝と夜の礼拝に出席しましたが、どこでも会堂には人が溢れ、キリスト教がミゾの人々の生活に密着していることが感じられました。
教会は人々の献金の他、教会員が毎日一握りの米を取り分けておいて教会に捧げ、それを売ったお金で自立して運営されています。
賛美歌をリードする太鼓 |
ミゾラムは貧しい土地ですが、このようにキリスト教が根付いていていることが部族の互助の気風と結びついて、犯罪が少なく、インドでは珍しく安全な土地柄です。
しかしすぐ隣りのミャンマーから同系の山岳部族の人々が同地の政情不安から多数ミゾラム流入して、犯罪も少しずつ増え始めたということです。
特にミゾラムはミャンマーの奥地で作られる麻薬を持ち出すルートにあたっており、麻薬中毒者の増加が大きな問題になりつつあると、私たちの受け入れの世話をしてくれたヴァンラル・ナカ牧師は眉を曇らせていました。
滞在3日目の8日、私たちは「ヘルモン子供の家」を訪問しました。
アイザウル郊外にあるこの施設は、ミゾラムのキリスト教系団体ゾラム福音協力会(ZEF)がパートナーズインターナショナルの協力を受けて運営しているもので、1979年の発足時は2人だった子供の数も、今では男児105、女児64人に増え、これからの子供たちがこの施設を巣立ったあとどうやって自立していけるかが大きな課題になっています。多言語国家インドで自立に必要な職業訓練を受けるためには、共通語の英語を理解できることがどうしても必要です。
「子供の家」に英語学級を作り、それを学校にまで育てようというZEFの計画を支援しているのが私たち日本のパートナーズなのです。
笑顔での出迎え |
私たちが到着すると、幼児から中学生までの子供たちが「子供の家」の前に並んで出迎えてくれ、行動で歓迎の歌と踊りを披露してくれました。
「子供の家」は剥出しのコンクリートと材木で作られた少年少女の住居棟と教室、作業訓練室から成る質素な施設ですが、子供たちの笑顔は明るく、この子たちが将来もこの笑顔を持ち続けられるよう、私たちに援助が役立つことを祈らずにはいられませんでした。
作業訓練室では、年長の子供たちが地元特産の機織りとタイプライターの訓練を受けていましたが、ここでの職業訓練はほんの基礎的なもので、本格的な訓練はカルカッタにある兄弟施設に子供たちを移して行なわなけらばならないようです。
英語授業の助手と岩崎理事 |
日本のパートナーズからの援助金で英語の授業を始めたドロシー・ラレンプイさんは英語留学の経験をもつ若いミセスで、レベルに応じた各クラスの教材を自分で作り、二人の助手とともに奮闘していますが、ZEFが目標にしている学校建設が資金不足で進まないため、借りている教室が転々と変わり、学習の能率が今一つ上がらないのが悩みだと語ってくれました。
最終日の9日朝、ヴァンラルさんの誘いで、数人の仲間と町から車で1時間ほどの所にある、福祉に献身する個人経営の施設を見学しました。
急峻な山肌にしがみつくように建てられたこの施設には、親を失った子供、精神障害者、麻薬中毒患者あわせて450人ほどが収容されていますが、アンペラ造りの居住施設は冬非常に寒いそうで、まだ援助の手の届かない施設の人々の苦しみが胸を刺しました。
それでも、インドには精神障害者の施設がごく僅かしないので、ここに収容された人はまだましだという説明でした。また、ここでボランティアとして働く40人ほどの若い人々の姿にも胸を打たれました。
こうして短いミゾラム滞在を終え、カナダの仲間たちとも別れて帰国しましたが、今回のインド旅行は次号で報告するインド西部の状況も含めて、援助のあり方を考える上で私に大きな実りを与えくれました。
(次号につづく)
【理事会報告】第101回理事会は1999年3月26日(金)一ツ橋学士会館で開催。前回議事録承認。1999年1・2月度会計報告承認。岩崎理事のインド視察旅行の報告。通信第39号の内容協議、4月21日発送予定。ホームページ原案提示。ロバン村の生活改善計画について6月末までに現地からの報告を求める。理事・監事の改選について協議、前回の手続きを改善して年度末に実施。新会員5名(1グループ、1個人)現在里子58名、まだ里親のない児童6名第102回理事会は6月3日(木)一ツ橋学士会館で開催予定。
<編集後記>復活節が過ぎ、春も盛りとなりました。岩崎理事の報告は援助の重要性を痛感させます。ポンティアナック市から北上した地方で、先住ダヤック族と移住してきたマドゥラ人との間でまた争いが起きているようです。年来の難問は一朝一夕には解決られません。総選挙が近づき、インドネシア社会全体の混乱が案じられます。後藤公子宣教師のヴィザが更新され(1月から1年間)、アレセア新学校での奉仕継続が可能となりました。
創立30周年を祝った新学校からは、卒業生377名が各地で宣教にあたり、現在107名が学んでいるそうです。(《インドネシアだより》後藤公子宣教師支援の会会報17号より)。
皆様の健康が守られますようお祈りいたします。
(鳥海百合子)