クリスチャンパートナーズ
通信 第46号
発行日/2000年12月23日
〈国際評議員会儀報告〉
草野理事長
<会議出席者一同>今年の国際評議員会議は10月30日・31日の会議と、11月1・2日の視察の日程で、シンガポールCNECが幹事役をして北タイのチェンライ市で行われ、米国・カナダ・英国・オーストラリア・2本・シンガポール・南アフリカより二十数名の代表傍聴者が出席しました。
宮澤・鳥海理事も西カリマンタ再訪を終えて傍聴し、各国の参加者と友好を深めることが出来て多くの収穫がありました。
会議出席者 |
会議では、米国のポール=ゴードン・チャンドラー、オーストラレアのデイヴィッド・コーエン、シンガポールのポール・チャンなどの各氏がいよいよ存在感を示しました。
歴史の長いカナダのグローバー・クロスビー、英国のジョン・ローズ両氏に伍して、それぞれの責任領域を開発している気迫を感じました。
米国では事務所をワシントン州のスポケーン市に移転、職員の大幅異動を済ませ、目下イスラムその他の宗教勢力への対応を研究中とのこと、英国では引き続き東欧やアフリカにおける災害・騒乱・飢餓などの難民救済に専念し、カナダが相変われずインドを中心に援助しています。
日本もますます、オーストラリアやシンガポールと協力して、東南アジアの教育・社会的諸問題の解決に貢献していかねばなりません。
今後は、海外の宣教活動の情報を積極的に収拾し国内の会員に伝えていけるように、各国の協力を得たいと訴えました。
私たちクリスチャンパートナーズは全てボランティアの奉仕で運営されていますが、他の国の団体ではそのような段階から脱皮し、専従の職員を入れてからその勢いに格段の違いいが出てきたとのことです。
各国がそれぞれ異なる活動領域に発展している現状をふまえて、国際評議員会議というこの会議の名称をPARTNERSHIP ALLIANCEと改称することが決りました。
次回は、2002年4月末にトルコで開催の予定です。ミャンマーを含む現地の視察報告は次号に。
日本の会員とも親しい米国のアレン・フィンリー師が出席されていて、皆様によろしくとのことでした。
西カリマンタン再訪記
宮澤玲子
鳥海百合子
10月22日夜シンガポールに到着した私たちは、SAC責任者のアイリーン(Irene)と再会し、翌朝から始まる旅行の打ち合わせをしました。二度目なのでお互い意思に疎通は良好です。
日本の会員の方々が献品して下さった文房具を、子供たちへの土産として持っていったので、空港税関で問題にされないように鉛筆・消しゴム・鉛筆削りを数個の包みに分けて、それぞれの荷の中に入れました。
今回は、シンガポール事務所で働き始めたタイ出身のティティワ(Tittiwa)が同行することになって、一行は女性4人。
彼女は中国語の神学校を卒業したばかりの牧師夫人でアイリーンとは北京語で話します。
左からティティワヤン(運転手)、パウリナ(会計) ユリンダ(秘書)、宮澤、アイリーン、バクリ牧師 オクタピアヌス(総務)、アケン(SAC担当) |
でも、タイでは小学校から英語を習うとのことで、私たちとのコミュニケーションもなんとかなりました。
ポンティアナックへ2時間という直行便がなくなって、23日早朝シンガポールからまずマレーシア領サラワク州のクチンへそこから南下してポンティアナックへとプロペラ機がジャングルをかすめて飛び、昼にはポ空港に到着、現地のSAC担当アケン(Aken)と再会を喜びました。
到着荷物も全部X線を通す厳しさで、私たちのスーツケースも開きさらされましたが問題はなく、外には西カリマンタンCNEC責任者のバクリ・リー(Bakri lie)牧師が持っていて下さいました。
前回訪問した時、バクリ牧師は内陸のナバン(Ngabang=ガバンとも)町にあるイマニュエル教会の牧師でしたが、現在はCNECの主任とポ市郊外のコタバル教会の牧師を兼任しています。迎えの車は新しいヴァンでクーラーもきき、車の所有者で運転手を兼ねるヤン(Yan)さんは市内の協会員とのことでした。
神学校の校庭にはCNEC専用の一棟が増設されていて、一回の二部屋が事務所、二階に宿泊できる部屋が三つありました。
以前は教室の一部を借りていたのですから大改善です。広々とした明るい部屋にはコンピューターも置かれ、日本からの献金が役立っていることをうれしく思いました。
アイリーンとティティワは事務所の二階で、私たちはホテルで夕方まで一休みした後、バクリ先生、アケンと一緒にヤンさんの車で市内のオミ先生の教会を訪ねました。
「恩寵」教会 キャンプの標語を貼る生徒たち 標語「私の命は主のみ手の内に」(オミ牧師) |
ティモール出身のオミ先生はモーターバイクで走り回る元気な中年女性で、神学校で教鞭と執り、寮生を監督し、「恩寵」教会の牧師として活躍しています。
路地に面した商店の一角を借りていた前回とは打って変わって、表通りに建つ小奇麗な礼拝堂で教会学校の生徒や会員がお菓子の用意をして私たちを待っていてくれました。
少年の弾くギター伴奏で賛美歌を歌い、アケンの通訳で日本のことを少し話ました。子供の1人の質問に答えて、先般出席した東京のインドネシア教会11周年祝賀会の様子などを話ました。
集会の最中に雷雨となり停電しましたが、慣れた様子ですぐ蝋燭が灯されて中断しませんでした。(鳥海理事のカメラがここで突然壊れ、ひと騒ぎ)
夕食は、アケンの提案で<ケンタッキーフライドチキン>に行くことになりました。ポ市に<ケンタッキー>が出来たの?とまず驚き、前回食べた鳥は骨と皮ばかりでしたから、どんなものが出てくるかと心配しましたが、東京と同じように十分肉の付いたピースに少し辛めの味か付いていました。
白いご飯が丸い形で皿に載って出てきてびっくり。制服の職員がマニュアル通りに立ち働いていて店内は清潔に保たれ、英語の広告が一杯下がっているのは何処も同じという感じ。
値段は、庶民がちょっと張り込んでと思った時に来られる程度でしょか、家族や若いカップルが結構入っていました。
これが、この地方の経済状態の改善を表すものであればいいのですが。
壊れたカメラの修繕が出来ないかと近くの店に寄ってみたところ、アケンがかわいい女子店員を見付けて、以前SAC里子だったと私たちに紹介してくれました。
彼女は少し英語も分かり、今は弟がSACで学校に行っていると話してくれました。SACで学校教育を受けてこのような職場で働いている実例を見て、私たちは励まされました。
ロバン村
翌朝は海岸沿いの州道を北上して、港湾都市シンカワンへ。バクリ牧師も同行、ヤンさんの運転は慎重で安心して周囲の椰子林や家々を眺めていられます。
市内では昼食の後、すぐ郊外のロバン村に生きました。教会の前には子供たちが集まっていて、ヤップ牧師が新任のジュナイディ牧師を伴ってすでに到着していました。
シンカワン教会のヤップ牧師はロバン村教会を監督する立場にあり、前回私たちがお目にかかった若い女性のスキ牧師が結婚で退任、次の牧師も去った後、ようやく客家語(ハッカ語=中国語の1つ)のできる経験者を迎えることが出来たのです。
ロバン村教会に集まった子供たち |
ロバン村には私たちが援助している里子が41名いますが、アケンが名前を呼ぶと20名ほどが次々と立ちました。ジュナイディ牧師の指導で賛美歌を歌い、土産の文房具を教会学校の教材として贈りました。
ヤップ牧師の案内で少し村内を歩きました。前回、干した草のようなもので作られていた家の壁に板が打ち付けられていたり、ペンキが塗られたり、ガラス窓が付いたりと改善が見られるところもありましたが、その財源が「台湾にお嫁に行った娘たちの仕送り」というのが大きな問題です。
バクリ、ジュナイデイ、ヤップ牧師 |
先の見えない貧困から抜け出す手っ取りばやい方法として、家族のために海外に出ていく少女たち。
それを可能にする隠れた組織。折角SACで教育を受けても、彼女たちの前途は明るくないようです。
私たちが今計画している奨学金で少女たちに職業教育を受けさせ、近隣の都市で働けるようにならないか。それには、牧師が家族の理解を得る努力をしなければなりません。
女の子3人の父親であるジュナイディ牧師がロバン村に住んで、住民を親しくなり、その信頼を勝ち得て影響力を持つようになったら、中断している医療活動の再開も可能ですし、少女たちを不幸な運命から守ることも夢ではないでしょう。長い目で見守っていきたいと思います。
「さあさあ、並んで並んで」 右奥はジュナイディ牧師 |
夜7時からの集会は大人たちが主で、ジュナイディ牧師の就任の挨拶とバクリ牧師の説教が中心の礼拝でした。
冒頭、鳥海理事によるインドネシア語の挨拶は受けに受けて、大人も子供も大喜び、目を輝かして聞いてくれました。
バクリ・アケン・アイリーン・ティティワに私たちの6人がインドネシア・北京・日本語で一つの賛美歌を合唱して会衆を驚かせ鳥海理事の英語の証をアケンが通訳した後、バクリ牧師が客家語とインドネシア語で熱烈な説教をなさり、子供たちは眠い目を擦りながら、大人たちは熱心に最後まで耳を傾けました。
ヤップ夫人、スィアウ リン(里子) |
集会が終わって、私たちは出口に立ち一人一人と握手をかわしました。里子の親たちは大変親しげに挨拶してくれました。
次号に続く
【理事会報告】第111回理事会は2000年11月17日一ツ橋学士会館で開催。前回議事録承認。
2000年9・10月度会計報告承認。理事長の国際評議員会議の報告。宮澤・鳥海理事の西カリマンタン再訪報告、通信第46号の原案を郵送により理事の承認を得て、年内に発行予定。
「会員の集い」(2月24日(土)pm1:30-3:30一ツ橋学士会館203号室)のプログラムの検討・準備・第112回理事会は2001年1月19日一ツ橋学士会館で開催。
〈編集後記〉
今月は来年1月末に発行の予定でしたが、旅行の報告を出来るだけ早く皆様にお伝えしたと思い、年内にお送りすることにしました。
2月の「会員の集い」には多数のご出席をお持ちしています。西カリマンタンで神学校の校長をしていらした太田裕作師のお話は里子たちへの理解を深めてくれるでしょう。
寒さの折からおいといください。
クリスマスのお祝いと新年のご挨拶を申し上げます。
(鳥海百合子)