クリスチャン パートナーズ
通信 第48号
発行日/2001年 5月5日
設立十五周年記念『会員の集い』
岩崎俊夫
1984年末に誕生したクリスチャンパートナーズは、今年活動17年目に入ったのですが、ようやく15周年を記念記念する機会を『会員の集い』という形で、去るが2月24日、東京の一ツ橋学士会館で祝うことができました。会員32名が出席したこの集いは、司会の鳥海理事の祈祷始まりました。
続いて草野理事長が挨拶し、SACを中心として私たちが捧げた援助の総額はこの間に3千万円に達し、それはその時かぎりでなく、長く現地の人々の力になっているとの報告がありました。
それから講師にお迎えした関西聖書学院院長の大田裕作先生が、援助の対象地西カリマンタンでの宣教経験を通して福音を伴う援助の大切さを語られました。
講演の後、会員たちは茶菓子をいただきながら、大田先生を交え、和やかな歓談のひと時を過ごしました。
大田先生を囲んで、出席者全員での記念撮影 |
太田先生は、私たちの里子の住む西カリマンタンで、先住民のダヤク族の中で宣教師として長く活動してこられた方で、スライドの解説を交えながら住んだ人でなければ判らない彼の地の状況を話してくださいました。
(SAC児童の中にもダヤク族の子供がいます。)
講演される太田先生 |
先生は早くから海外宣教の志を持ち、日本の教会で9年間働かれた後インドネシアに赴かれました。
西カリマンタンを選んだのは、かつて東南アジア諸国を旅した時、西カリマンタンのマンドゥールで、第二次世界対戦中に起きた日本兵による現地住民虐殺の記念碑を見て、日本人の一人としてその償いをしたいと思われたからでした。
【講演の要旨】異文化の地での宣教の基本は、次の聖書の箇所に示されています。
① コリントⅠ9:19-23「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。
できるだけ多くの人を得るためです。」
② マタイ7:12「ひとにしてもらいたいとお思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」
③ マルコ14:3-9(ナルドの香油の話)「この人はできるかぎりのことをした。」
つまりイエスはできることをしなさい、受け手の受けやすい形でしなさいと教えられています。
できないということは、正しい情報がなく、動機付けがないからです。
西カリマンタンでは、神学校に住みながら、周辺の村々に伝道し、また遠くの村から来て中学校で勉強する寄宿生の面倒もみました。
中心都市のポンティアナックには中国系のジネスマンなど近代的な生活をしている人がいますが、奥地には採取・狩猟に頼るダヤク族がいるという先進と原始が混在する地域です。
ダヤク族は自然と向き合ってゆったりと生活しています。
村々では男性が座って何にもしていないのが目に付きますが、乾季に樹を伐採して燃やした焼畑に陸稲や玉蜀黍の種を蒔けば、後はすることがないからなのです。
ドリアンなど果物も豊富で温暖ですから飢えることも凍えることもなく、従って貯蓄観念も育ちません。
計画性もなく人と争うことも好まないので他部族との競合に弱く、進出してきた他部族(主としてジャワ島から移住してきた、生活力旺盛で熱狂的なイスラム教徒であるマドゥラ族)に押されて、奥地へと退いてきました。
ダヤク族はまた、そうした性格から教育にも関心がありません。
村には小学校はあっても中学校はなく、子供を中学にやるには遠僻地に下宿させねばなりません。
しかしそれはダヤクの子供たちに潜在能力がないということではなく、優秀な子供たちはいます。
たりないのは動機付けと励ましです。
親たちには苦労して子供に勉強をさせる動機がなく、またお金もありません。
ダヤク族にはクリスチャン(プロテスタント・カトリック)がかなり多いのですが、本来の宗教はアニミズム(精霊信仰)で、人々はさまざまな迷信の制約に縛られています。
百年程前までは首狩(同部族内の他のグループとの間で)も行われていました。
その後首狩は根絶されたかに見えましたが、1997年12月に起きたダヤク族とマドゥラ族の間の抗争で、首狩が復活そました。
他部族との争いを好まず、身を引いてきたダヤク族がとうとう“きれた”ということでしょう。
あるダヤクのカソリック信徒の村ではマドゥラ族を殺し、人肉食が行われました。
それは、かつての宗教・風習の根が残っていたということであり、福音が個人の心の奥まで入っていなかったということです。
ダヤク・マドゥラ間の抗争は、スハルト政権破壊後のインドネシアの政治が混迷する中で、今日また激しくなっています。
教育だけでなく福音を根付かせ、教育と福音とがかみ合わなければこのような状態はなくなりません。
いま必要なのは施設(物)よりもそれを生かせる人材であり、知識だけでなく福音を伴った教育で人材を養成し、部族を成熟させなければなりません。
今日蒔いて明日芽が出るわけではなく、人が育つには長い年月が必要です。
そのためには息の長い奉仕が、また自立を促す援助が求められています。
北タイで ラフ族(lafu山岳民族)の教会での日曜礼拝
宮澤玲子
鳥海百合子
翌日は日曜日で、教会での礼拝に誘われて8時半に玄関へ行きましたが、車を待つこと1時間。
遅刻するのでと心配する私たちに、「一緒にいくシンガポールのヘンリー師が説教するのだから大丈夫。」との返事。
一行は、チェンライのCNECで働く若い男女の職員ピーターとメイリンが案内役で、カナダ・英国・日本代表と会議の事務責任者ミンワ(シンガポール職員)の9名でした。
車はどんどん郊外へ、田や畑の間の曲がりくねった道を過ぎて高度1000mを超える辺りまで登っていきます。
切り開かれたばかりの道路は舗装されていますが、側溝が未完成で赤土が路上に広がり、雨が降ったらさぞ滑りやすくなるだろうと案じられる状態でした。
いくつかの集落を抜け峠を越え、1時間半ほど走ってミャンマーとの国境に近い山岳民族の住む地域に入り、急な坂道の途中に建つフェイシン教会に着きました。
中にはラフ族の会員たち50人程が待っていてくれました。
礼拝の司会は帰郷仲の神学生、奏楽はリ・ガン・ロン牧師がキーボードで、ヘンリー師の北京語の説教は会員の一人がラフ語に通訳、終りの賛美歌が「くすしき恵み」(賛美歌21の451)、報告は牧師夫人でした。
私たちの自己紹介はミンワが北京語にして、牧師夫人がラフ語に。
男性は老人数人だけ、若い女性も少なく大方は老婦人、赤ちゃんを抱いた母親たちと子供たちで、一人一人と握手を交わしました。
恥ずかしそうに手を出す子、おおはしゃぎをする子などいろいろでした。
Tシャツを着たおばさん |
出席者の一人が着ている洗い晒しのTシャツを見て、私たちはびっくり。
それは、宮澤悦子会員によるデザインを東京でプリントし、3年前シンガポールの職員たちにお土産に持っていった、クリスチャンパートナーズのロゴの入った物だったからです。
インドシナ半島の先端から北タイの国境まで、Tシャツはどんな旅をしてきたのでしょう。
帰路、翌週献堂式をあげるという新築の芒果(マンゴー)教会を見学し、ティンピン牧師らがシンガポールCNECの援助によるものとの説明を聞きました。
花が飾られた祭壇 | 「お客さんたちは 礼拝堂の中で何しているのかな」 |
会堂の隣には教会学校の教室とゲストルームのある別棟も建っていて、窓からは幾重にも重なる緑の山並みが見渡せました。
次に訪ねたバンプーレイ教会は田圃の中にあって、茅葺きでたけを組んだ壁の会堂、天井には燕が巣を造っていました。
午後おそかったので牧師は留守、近所の信者の方が挨拶に出てこられました。
祭壇には花が飾られ、藁屋根の先端に木の十字架が打ち付けてありました。
チェンライの学生センターで
30日の夜、会議参加者はチェンライ市内にある学生センターを訪問しました。
コンクリート3階建てのセンターの上の階には、山岳民族の中学生が親元を離れて寮生活をしながら学校に通っています。
親たちの住む山地では学校が遠くて通えないからです。
その費用にはSAC援助金が当てられています。
歌で歓迎してくれた寮生たち |
8部族に属する少年少女16人が、講堂でギターを弾き、歌を歌ってくれました。
彼らは日本人そっくりで、思わず日本語で話し掛けてしまいそうでした。
集団生活に慣れるまで苦労するようですが、部族の言葉は類似しているのですぐ分かり合えるようになり、学校でタイ語を学んでタイ国民としての教育を受けるのです。
次の夜、会議参加者の歓迎会がホテルで開かれたとき、彼らはそれぞれの民族衣装を着て現われ、歌や踊りを披露してくれました。
自分の属する部族の伝統を受け継ぎながらタイ国民として育っていくこの少年少女をみながら、指導する若い職員ポーターやメイリン、センター長夫妻、そして北タイ最大の都市チェンマイに事務所をおいくタイCNECの責任者ブーンプラサート夫妻の苦労を思い、支援するシンガポールPIの働きに感嘆しました。
アフリカの聾学校に援助 (コンゴ民主共和国ゴマ市) 長引く内戦で困窮の中にありながら、障害をもつ子供たちのために苦闘するエフファタ聾学校に、同校を支援するオーストラリアPIからの要請に応えて、援助金5万円を送りました。
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【理事会報告】第113回理事会は2001年3月16日一ツ橋学士会館で開催。
前回議事録承認。2001年1・2月度会計報告承認。
オーストラリアPIの要請に応えて「同労団体協力」の項目から5万円送金。
「会員の集い」に関しての総括。
PIと協力して援助対象を広げる、会員参加による現地視察の可能性などについて協議。
通信第48号の内容は「会員の集い」と北タイの報告で、原案を郵送により理事の承認を得て、5月初め発行予定。
第114理事会は2001年6月1日一ツ橋学士会館で開催予定。
〈編集後記〉新緑の季節となりました。「会員の集い」には多数ご出席いただき、ありがとうございました。
任期2年が瞬く間に過ぎて、理事改選の時期が巡ってまいりました。
理事としてご奉仕いただける方をぜひご推薦ください。
来月にはお手元に選挙関係の資料をお送りいたします。
(鳥海百合子)