クリスチャン パートナーズ
通信57号
この子供たちに援助の手を
口バン村訪問
前号ではクリスチャンパートナーズの一行(草野理事長、松本顧問、木ノ内監事、私)が、援助活動の新しい展開の道を探るため、提携団体のアンテオケ宣教会の安海牧師とともに西カリマンタンを訪れたことを書きましたが、今号ではその旅行の締め括りとして、私たちの里子が多数暮らすロバン村の現在の姿と、続いて訪問したカンボジアについてご報告しましょう。
ロバン村は、西カリマンタンの玄関こ当たる州都ボンティアナック市の北50キロほどのところにあるシンカワン市の郊外にあります。
私たちは奥地シンタンへの旅を終えて、ボンティアナツタ市へ戻る途中、当初の予定にはありませんでしたが寄り道してロバン村を計れることにしました。
シンタンから三百数十キロの道のりを車で走り抜け、シンカワンのホテルにたどり着いたのは2月7日の夜かなり遅い時間でしたが、私たちのロバン村訪問の意向を知ったSAC係の職員ジョシェア・アケンがボンティアナツタ市から駆けつけて、里子たちの状況を話してくれました。
ロバン村教会の前で オベルナリクス牧師 |
翌朝早く、アケンと、子供たちの面倒を直接見ているオベルナリウス牧師(Obernalius)と一緒にロバン村に行きました。
急な訪問の上、ゆっくりする時間もなかったので、子供たちに集まってもらって話を聞くことは出来ませんでした。
小学校は二部授業ですが、多くの子供が学校に行っている時間だったのです。
ロバン村の住民の多くは中国系で、奥地に多いダヤク族の人々とは、同じインドネシア人といっても容貌などはかなり違います。
村の中には新薬やテレビ用のパラボラアンテナを立てた家がかなり目に付きました。
かつて最も貧しい地域であったロバン村も中国系住民の持ち前の勤勉さでようやく暮らしがよくなってきたように思われました。とは言っても援助なしでは、全ての子供が学校に行ける日はまだ先のようですが。
新築家屋の建ったロバン村 |
こうした中国的な祭りは、数年前までは禁止されていましたが、政権の交代による自由化政策で復活したのだそうです。
宗教の自由化はよいのですが、部族紛争に宗教が絡んで国内のあちこちで紛争が起きている昨今、キリスト教会が圧迫される新たな火種にならなければ良いがという心配があるようです。
私たちはこのあわただしいロバン村訪問で西カリマンタンの旅を終え、ジャカルタ、シンガポール経由でカンボジアのプノンペンへ向かったのでした。
カンボジアを訪ねて
木ノ内監事 安海牧師 草野理事長 服部夫妻 |
その後、プノンペン国立大学の近くにあるホープ・エデ ュケイショナル・センター(HEC)という学生寮に行き,そこで献身的に奉仕しておられるチヤ-イ牧師(chhay)にお会いしました。彼は貧しい地方の出身で、ポルポトの圧政下でまたその後の内戦時に壮絶な体験をされ、信仰を持つことで苦難を乗り越えてこられた方でした。
★全員の皆様へ★理事・監事改選について 理事長 草野計雄
7月から開始する2003年度に向けて、この6月は理事・監事の改選を行う時期になっておりますが、会の運営の組織化と新しい執行力を生み出すために、2006年6月をもって私が辞任したいとの申し出を理事会も了承しましたので、円滑な移行のため、今回は理事・監事の留任を皆様に御了承いただきたくお願いいたします。この際、理事として新しくご推薦いただける方がありましたら、その旨理事長までご連絡ください(6月30日まで)。理事会で審議させていただきます。 2003年6月5日 |
チヤ-イ牧師の案内で寮内を見学しました。プノンペン大学はカンボジア唯一の国立大学で、優秀な学生には学費が免除されます。しかし地方出身者には生活費も払えない貧しい学生が多く、チヤーイ牧師は彼らと寝食を共にし、生活の面倒を見るばかりでなく、英語を教えたり、聖書研究などの伝道活動に使命感を持っておられます。
伝道集会に集まった学生たち |
学生たちの部屋・チヤーイ牧師の部屋・台所などを見せていただきましたが、丁度食事時で、その日のメニューはご飯に、大きな鍋で煮込んだバナナの幹だけと言う質素なものでした。
学生たちは素朴で明るく、自室での写真撮影に気軽に応じてくれました。
女子寮の学生たち |
翌日夜の伝道集会では、チヤーイ牧師と岩崎理事の証を学生たちは熱心に聞いていました。
翌日はまず軍の病院に行き、広い敷地内にあるエイズ病棟を訪問しました。
驚いたことに病室には患者だけでなく、子連れの家族が寝泊りしていました。
看護師である服部宣教師夫人は、患者の額こ手を置きながら語りかけ、薬を渡していました。
それからトゥルスレイン虐殺ミュージアムを見学しました。そこは、ポルポト政権下での収容所で、虐殺の悲惨な痕跡が鮮明に残されていました。
外観はヤシの木の間にハイビスカスが咲き、そこに凄惨な現実があったとはとても思えませんでした。館内には圧政下で死に追いやられた何万人もの戦牲者の写真、中には幼い子供のものもあり、胸が痛みました。小さく仕切られた部屋は独房や拷問が行われた場所などで、あまりのむごたらしさに正視できませんでした。
午後から、ボパール女史(Bophal)が子供たちと生活し教育をしている施設「カンボジアの子供の家」RefugeofCambodianChildren)を防間しました。(BR)
パール女史は、ワールドコンサーンの援助で、幼稚園の園長をしながら1995年から2000年まで幼稚園教論の養成者として働いていました。
1998年にカンボジアにいらした鞭部夫妻が、当時2歳だった息子さんを彼女の幼稚園に受け入れてもらったことで知り合われたのですが、ワ一ルドコンサーンの援助が終了した後、御夫妻を通して日本の個人で支援してくださる方が得られて幼稚園を再開。
民族衣装で捕る子供たち |
次いで農村から学校に行けない子供たちを連れてきて、一緒に生活しながら勉強を教えるという学校を始めました。母親が地方に働きに行っている子供もいて、現在では7歳から12歳まで40人の子供たちが小学1,2年程度の勉強から始めています。
子供たちの家庭は貧しくて1人4ドルの月謝が払えず、学校経営の自立は無理で、援助に頼らざるを得ないのが実情だそうです。
教師は外から雇い、日常の家事や幼稚部(日本で言えば保育園)の世話は、5人の女の子がボパール女史と一緒に住み込みで当たっています。
私たちが行くと、子供たちはかわいらしい民族衣装を着て踊りや歌で歓迎してくれました。
みな無邪気で明るく、目が輝いていました。私が子供たちに川越教会の教会学杖(養護施設の子供たちが出席している)のことを話すと、ボパール女史が早速、その生徒たちのために祈りてくださったことに胸を打たれました。
カンボジアで過ごしたのは丸二日で、インドネシアと比べるとずっと短期間でしたが、服部夫妻の御好意でとても密度の濃い旅になりました。今回の旅行で特に感じたのは、子供の教育の大切さでした。
岩崎理事 木ノ内監事 |
子どもたちと一緒に |
一人の子供が教育を受ける機会を得られるか杏かが、将来に多大な影響を及ぼすことを実際に目で見ることのできた旅でした。
【理事会報告】
第125回理事会は2003年4月11日(金)一ツ橋学士会館で開催。前回議事録承認。2003年1・2月度会計報告承認。「通信第66号は4月4日発送済。「通信第57号」の内容は東南アジア視察族行報告の続き。発行は6月6日の予定。松本顧問から上記旅行の感想を伺う。会計事務にパソコン導入の準備として約40万円で専門家に依頼する。2005年6月を以って草野理事長が現職を退きたいとの要望を表明され、承認された。この件と2004年度に20周年を迎えることを考慮して、今期末の理事改選を中止し、留任を認めて下さるように会員にお願いする。第216回理事会は2003年6月13日(金)一ツ橋学士会館で開催予定。
<編集後記>五月晴れがほとんど無いまま梅雨の季節こ入りました。新型肺炎で世界各国の友人たちの健康が案じられます。理事長の退任表明という難問に、どう立ち向かっていくれ皆様のお力添えをお願いいたします。